<span itemprop="headline">続、慰安婦の歴史</span>
【正確な知識を!~元日本軍「慰安婦」をこれ以上傷つけてはならない】
●右派の「強制連行はなかった」論は国際社会に通用しない。“強制連行”の定義が日本と海外でまったく違うからだ。主張すればするほど日本の品位を貶める。
安倍氏ら極右政治家は「強制連行」の意味を「軍が無理やりトラックに詰め込み拉致すること」と考えている。そして「慰安婦募集の際に、仕事内容を“看護婦”“給仕”“工員募集”などと騙したのは朝鮮人の悪徳ブローカーであり、日本軍は関係ない」と主張している。
一方、国際社会の人権感覚では、日本軍管理下の慰安所に騙されて送られた女性が、自由を奪われ売春を強要されたことを「強制連行」と見なしている。嘘の募集広告で戦地へ連れてこられ、無理やり慰安婦にされた女性が「家に帰して」と懇願しても返さなかった。
つまり、「拉致の方法」が問題なのではなく、「どうして騙されて慰安所に連れて来られた女性を故郷に帰してあげなかったのか」と批判されているのだ(女性たちを前線まで移送したのは軍の船や車)。
極右政治家の強制連行否定は、海外から見れば、「確かに悪いことをやったが、方法はそこまで酷くない」と開き直っているように見え、だからこそ安倍氏ら保守グループが米国の新聞に「日本は強制連行していない」と意見広告を出したときに、アメリカ議会は「事態の深刻さを何も分かってない」と、それまで日本寄りだった議員までが呆れ、対日非難決議が可決されたのだ。
連行された方法が何であろうと、慰安所は軍の要請で設置された施設であり(軍医が性病を検査)、管理運営に軍が深く関わっていたことから非難を免れることはできない。レイプの言い訳が国際社会でどれほど恥ずべきことか安倍氏周辺は分かっていない。
※日本軍が各地域の有力者に「A村からは5人、B村からは8人の慰安婦を出させろ」と強要した事例も多く、これらも一種の強制連行といえる。
●元慰安婦の証言が変わる理由
保守系ブログなどで「元慰安婦は証言内容がコロコロ変わる。だからでっちあげだ。賠償金目当てだ」という聞くに堪えないことを言う人がいる。彼女たちの名誉のために社会背景を説明し弁護したい。
韓国は一族の名誉、家名を非常に重んじる儒教社会であり、身内から元慰安婦が出れば大きな恥辱となる。元慰安婦の多くは、「看護婦募集」「ウエイトレス募集」というニセ広告に騙されて戦地で性交を強要され、明らかに被害者であるのに、“日本兵の慰み者となった”と理不尽な汚名を背負わされた。戦後、差別を恐れて社会から身を隠すように生きてきた元慰安婦が、近年になって自らの過去を語り始めたのは、日本の一部保守政治家が「慰安婦などいなかった」「いたとしたら売春婦」と言い始め、それに深く傷つき、また激怒したからだ。
元慰安婦たちは勇気を出し、「私が証拠」「日本政府に謝って欲しい」と主張したが、元慰安婦であることをカミングアウトすることは、80年代、90年代の韓国社会において侮蔑対象になることだった(今では理解が進み“犠牲者”と認識されている)。だからこそ、当初は韓国社会からのバッシングを恐れて、“同情して欲しい”という思いから、証言内容がより悲劇性を強調するものになった人がいた。また、地名や日時に記憶違いがあるのは、半世紀以上も昔のことをご高齢の方が思い出しているためで、人間なら誰でも起こりえること。それらを何ら考慮することなく、「Aという証言とBという証言のここが違うから、この話は全部ウソ、そしてこの慰安婦はニセモノだ!」と糾弾するのは無情すぎる。
※そもそも若い女性が出稼ぎに追い込まれた朝鮮半島(特に農村地帯)の貧困は、日本による農地収奪が原因だ。都会でも経済を握っていたのは日系企業。保守“有識者”の中には「仕事で慰安婦を選んでおいて被害者ヅラするな」と言う人物も多いが、その意見は彼女たちが騙されて慰安婦にされたことをスルーしているうえ、なぜ彼女たちが日本の支配下でそこまで貧困に苦しんでいたのか歴史を理解していない。
●自分で証拠資料を焼いておいて「資料はない」と主張する恥ずかしさ
日本政府や軍は、降伏前に戦争犯罪の証拠となるような機密文書や命令書を徹底的に焼却した。これは歴史的事実。保守論客は「強制連行の証拠を出せ」というが、証拠を大量に隠滅しておいてそれを言うのは、同じ日本人として勘弁してほしい。廃棄しきれなかった関係資料は見つかっているし、河野談話の後も様々な資料が発掘されている。
●「元慰安婦は高給」という非難の愚かさ
確かに彼女たちはお金を受け取ったが、それは日本軍が現地通貨を廃して作った独自通貨=“軍票”であり、それはすべて敗戦と共に紙クズになった。しかも、この言い方ほど元慰安婦を侮辱するものはない。想像して欲しい。もしあなたが給仕や工員募集に応募したのに戦地へ連れて行かれ、性交を毎晩15~20人も強要され(水木しげる氏は“80人”も目撃している)、「金をやるんだからいいだろ」と、札束で頬を叩かれる扱いを受けて納得できるのかと。
1942年9月時点の陸軍専用慰安所は約400カ所。これらは軍当局の要請により設営された。慰安婦たちは心身がボロボロになっても「廃業の自由」がなく、また故郷に帰りたくても軍の監視下にあり脱出できず「移動の自由」もなかった。これは国際社会では「奴隷状態」と認定される境遇であり、世界の人権感覚ではまさに“性奴隷”そのものだ。元慰安婦の人に二次加害を加えることは、人として許されない。
※水木しげる氏は出征先ニューギニアの出来事をこう記している。
「敵のいる前線に行くために、「ココボ」という船着場についた。ここから前線へ船が出るのだ。そういうところには必ずピー屋がある。ピー屋というのは女郎屋のことである。(略)ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。日本のピーの前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった。これを一人の女性で処理するのだ。僕はその長い行列を見て、一体いつできるのだろうと思った。一人三十分としてもとても今日中にできるとは思われない、軽く一週間くらいかかるはずだ。しかし兵隊はこの世の最期だろうと思ってはなれない、しかし…いくらねばっても無駄なことだ。僕は列から離れることにした。
そして朝鮮ピーの家を観察したのだ。ちょうどそのとき朝鮮ピーはトイレがしたくなったのだろう、小屋から出てきた。とてもこの世のこととは思えなかった。第一これから八十人くらいの兵隊をさばかねばならぬ。兵隊は精力ゼツリンだから大変なことだ。それはまさに「地獄の場所」だった。兵隊だって地獄に行くわけだが、それ以上に地獄ではないか。と、トイレに行った朝鮮ピーを見て思った。よく従軍慰安婦のバイショウ(賠償)のことが新聞に出たりしているが、あれは体験のない人にはわからないだろうが…やはり「地獄」だったと思う。だからバイショウはすべきだろうナ」。(その後、彼女たちは病院船で移動する際に潜水艦にやられ全員死亡したとのこと。賠償することさえ不可能になった)
●「慰安婦問題は朝日新聞が最初に焚き付けた」はウソ。読売新聞の方が先。
保守論客は「慰安婦問題は朝日新聞が捏造した」「植村隆記者の誤報が騒ぎの発端」と触れ回っているが真っ赤な嘘。朝日の記事は1991年。だがそれより4年前の1887年8月14日に「読売新聞」が次の記事を掲載している→
「従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。昭和十三年から終戦の日までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。/「お国のためだ」と何をするのかも分からないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった。/特に昭和十七年以降「女子挺身隊」の名のもとに、日韓併合で無理やり日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた。彼女たちは、砲弾の飛び交う戦場の仮設小屋や塹壕(ざんごう)の中で、一日に何十人もの将兵に体をまかせた。その存在は、世界の戦史上、極めて異例とされながら、その制度と実態が明らかにされることはなかった」。(参考リンク)
また、慰安婦問題の誤報について朝日が大バッシングされているが、吉田清治氏が済州島で行った調査報告がデマというのは、ずっと前から多くのリベラル派の共通認識であり、吉田報告を論拠に強制連行を批判する人間は近年ではほぼ皆無。朝日は誤報と気付いた点でもっと早く謝罪・訂正すべきだったし、お陰で「強制連行は捏造だった」と右翼が大々的に宣伝することで、若者の間に武力による強制連行事件(スマラン事件など)までなかったかのような誤解が広がっているのは大問題。
※スマラン事件(白馬事件)…直接日本軍が女性をトラックに詰め込んで慰安婦にした事件。1944年2月、インドネシアの民間抑留所にトラックで乗り付けた軍人たちは、17歳以上の独身オランダ人女性を整列させ、16人の少女をジャワ島スマラン慰安所に連れ去った。彼女たちは高級将校専門の慰安婦にされ、軍刀で脅迫され暴行を受けた。戦後の戦犯法廷で、当事者の大久保大佐が公判中に自殺、池田大佐が発狂、岡田少佐は死刑、能崎中将が懲役12年となる。事件当時、日本の第16軍上層部はスマランの該当慰安所を閉鎖し少女たちを親元へ帰した。この一例だけでも安倍氏が賛同した意見広告「日本軍による強制連行を裏付ける資料はなく…」は誤りだ。
●河野談話は聞き取り調査や吉田報告と無関係~安倍氏も知らなかった事実が国会で判明
これまで安倍氏は、国会で「河野談話の根拠の大半は吉田清治氏の虚偽報告」と発言してきた。また、保守論客は「河野談話は“16人の元慰安婦の聞き取り調査”と怪しい吉田報告から作成され根拠に乏しい」とバッシングしてきた。だが、2014年10月3日の衆院予算委員会で、河野談話はそれらと無関係であり、関係省庁における関連文書、米国国立公文書館の文書、軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査、証言集の分析などの結果から作成されたと判明した。
《ポイント要約》
辻元「吉田清治氏の証言が河野談話の内容に影響を及ぼしたことはないという理解でいいか」
菅「河野談話の作成過程の中で政府は吉田清治氏から聞き取り調査を行った。その結果、同氏の証言は、客観的事実と照らしてつじつまが合わなかった、他の証言者の証言と比較して信用性が低かったところから河野談話に反映されなかった」
辻元「総理も同じ認識か」
安倍「官房長官が答弁したとおり」
辻元「河野談話は元慰安婦の聞き取り調査が根拠になったのではない。関係省庁における関連文書、米国国立公文書館の文書や、それから軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査、それから証言集の分析などで出た結果であり、16人の元慰安婦の聞き取りが根拠になったものではない、ということでよろしいか」
菅「報告書のとおり、河野談話の原案は、元慰安婦からの聞き取り調査の終了前に、それまでに日本政府が行った関連文書の調査結果等に基づいて既に作成をされていた」
辻元「総理も同じ認識か」
安倍「聞き取り調査が根拠だと思っていたけど違った」
衆議院予算委員会 平成26年10月3日
●いつまで過去の罪を謝罪せねばならぬのか?
その意見に答えるならば、最低でも安倍氏のように戦争犯罪を否定する人物が国家の中心にいるうちはダメだろう。極右政治家が何万票も集めている時点で「日本人は反省してない」と受け止められる。「慰安婦問題は日韓基本条約で解決済み」という意見も論点ずらしというか、韓国が個別請求権を放棄した日韓基本条約は1965年に締結されたが、慰安婦問題が浮上したのは1992年。これほどの人権侵害を“後から分かった”から黙殺というのは非情すぎる。心の傷が大きすぎ、そして差別されるのが怖くて被害を名乗れなかっただけなのに…。
※国家間で信頼を得るためには長い時間が必要だけど、失うのは一瞬。政府がお詫びした後に右派議員が「日本は悪くない」と開き直ると、謝罪が台無しになる。またゼロからのスタート、否、マイナスからのスタートになってしまう。安倍一派や石原一派が、戦後日本が何十年もかけて築き上げた中韓との(それなりにあった)信頼関係をすべてブチ壊した罪は重い。その上、国連からも米国からもお灸をすえられ、日本の対外的な信用を傷つけている。
米国紙に意見広告「慰安婦はでっちあげ」を出した“有識者”と政治家
2007年『ワシントン・ポスト紙』、2012年『スターレッジャー紙』に、櫻井よしこ、西村幸祐、藤岡信勝などウルトラ保守“有識者”が「歴史事実委員会」の名で、「慰安婦問題はでっちあげ」「日本軍による強制連行を裏付ける資料はなく、発見された公文書によれば強制募集や誘拐を禁じていた」と意見広告を掲載し、安倍氏は“賛同者”として名を連ねた。これは河野談話が指摘した「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という内容を否定するもの。冗談ではない。
意見広告に書かれた「女性を意思に反して強制して働かせることのないよう民間業者に警告する文書が多数発見された」について、該当の公文書(陸軍通牒2197)を調べてみると、これは民間業者を対象に書かれたものではなく、陸軍省から北支方面軍・中支派遣軍あてに出された指示文書であって、保守論客が主張する「民間業者に警告する文書」ではない。どこにも、違法な業者を「厳罰にすると警告している」箇所や、「誘拐に類する募集方法を明確に禁止」した箇所はなく、よくこんなウソを櫻井よしこら保守“有識者”は米国紙に掲載したもの。※リンク先で詳細に論破。
ネットでは安倍氏に代表されるような「慰安婦問題はでっちあげ」とするグループに、証拠を集めて冷静に反論を試みているサイトも多い。特に説得力があるのはコチラ。戦後の旧日本兵の回想記ではなく、戦時中にリアルタイムで記録された生々しい兵士の手記を数多く紹介している。戦後の回想でも慰安婦問題が国際問題化する前に書かれたものが中心。衝撃的なのは、慰安所の劣悪な環境だけでなく、大量の“日本人慰安婦”の存在だ。彼女たちは日本国内から日本人ブローカーに騙されて慰安所に送られた。室町時代や江戸時代の話ではなく、ほんの数十年前の話だ。戦後になるまで、日本ではこのように奴隷交易同然のことが国家ぐるみで行われていた。従軍慰安婦の問題は韓国との関係で語られがちだけど、もっと広範囲な女性全体の人権問題として捉え直すべきものと痛感。また、日本人相手でも平気で騙すような違法ブローカーであり、相手が朝鮮人であればもっと酷い騙し方をしたであろう。
日本兵の振るまいについて、陸軍軍医・早尾乕雄中尉が1939年に書いた報告書『戦場に於ける特殊現象と其対策』を現代文に訳。「出征者の性欲を長く抑制させることは、中国人女性への暴行に繋がると気をきかせ、兵站(へいたん、補給機関)が中国にも早速に慰安所を開設した。主な目的は性の満足により将兵の気分を和らげ、皇軍の威厳を傷つける強姦を防ぐことにあった。それでも地方での強姦数は相当あり、また前線でも多く見かける。内地(日本列島)では到底許されぬことが、敵の女だから自由になるという考えが非常に働いているために、中国の娘を見たら憑かれたようにひきつけられて行く。従って検挙された者は不運なだけで、陰にはどれ程あるか解らぬと思う。部隊長は兵の士気昂揚のためと見て知らぬ振りを通したことさえあった。
日本の軍人はなぜゆえこの様に性欲の上に理性が保てないかと、私は大陸上陸と共に直ちに痛嘆し、戦場生活1年間を通じて終始痛感した。しかし、軍当局はあえてこれを不思議とせず、さらにこの方面に対する訓戒は耳にしたことがない。軍当局は軍人の性欲を抑える事は不可能だとして、中国の女性を強姦せぬ様にと慰安所を設けた。だが、強姦は非常に盛んに行われ、中国の良民は日本軍人を見れば必ず怖れた。将校は率先して慰安所へ行き、兵にもこれをすすめ、慰安所は公用と定められた。心ある兵は慰安所の実態(女性を騙して連れてきた)を知って、軍当局を冷笑していた位である」。
★米紙「慰安婦」否定意見広告に賛同した国会議員(昨年11月当時)
2012年米国紙に「慰安婦問題はでっちあげ」意見広告を出した国会議員リスト39名。こういう議員のせいで「日本は戦争を反省してない」と言われ続け国益を損なってる。4閣僚(下村博文、稲田朋美、古屋圭司、新藤義孝)のほか内閣官房副長官の世耕弘成氏、首相補佐官の衛藤晟一氏や自民党政調会長・高市早苗氏も賛同している。情けないことに民主党議員の名前も…。
【民主党/当時】柴崎正直(岐阜)、田村謙治(静岡)、花咲宏基(岡山)、福島伸享(茨城)、松原仁(東京)、三浦昇(山口)、向山好一(兵庫)、吉田泉(福島)、渡辺周(静岡)、金子洋一(神奈川/参)。長尾敬(大阪)は署名後に自民党へ!11名。
【自民党】安倍晋三(山口)、伊東良孝(北海道)、稲田朋美(福井)、金子恭之(熊本)、北村誠吾(長崎)、下村博文(東京)、新藤義孝(埼玉)、北村茂男(石川)、高市早苗(奈良)、竹本直一(大阪)、古屋圭司(岐阜)、松野博一(千葉)、山本有二(高知)、塚田一郎(参・新潟)、西田昌司(参・京都)、山谷えり子(参・比例)、山本順三(参・愛媛)、義家弘介(参・比例)、上野通子(参・栃木)、江藤晟一(参・比例)、岸宏一(参・山形)、岸信夫(参・山口)、有村有子(参・比例)、磯崎仁彦(参・香川)、熊谷大(参・宮城)、世耕弘成(参・和歌山)の26名。
【維新】
平沼赳夫(岡山)、中山恭子(参・比例)
頭が痛いのは、この広告に安倍氏が賛同署名をしたのは自民党総裁になってからのこと。これが国際的にどういうメッセージになるか。安倍氏を批判する動きは自民内部に見えない。このままでは自民の公式見解は「日本軍は“詐欺”や“人身売買”を見て見ぬ振りしていたが、強制連行じゃないから謝罪しない。それが“美しい国”!」という開き直りになる。勘弁して欲しい。
でも状況を前向きに考えることも出来る。自民党は衆参両院で当時201人の議員がいたのに、賛同者は24人に過ぎなかった。9割の議員はサインしていない!それは希望だ。
※国連人権委員会「日本軍の慰安所制度は1926年の奴隷条約における国際慣習法に違反する性奴隷制度であり、女性への著しい人権侵害である」。
※保守論客はよく「現代の価値観で当時を裁くな」と言うけど、当時の価値観から見ても慰安婦制度は刑法第226条及び第227条、民法第90条、娼妓取締規則、婦女・児童売買を禁ずる国際条約、奴隷条約(1926)、強制労働条約第29号(1930)などに違反している。
『日本の戦争責任資料センター』の見解を紹介
安倍氏をはじめ極右の政治家たちは、「慰安婦」の強制性を否定する発言を何度も繰り返し、いまだに心身の傷が癒されることのない元「慰安婦」の方々をさらに苦しめている。“日本の戦争責任資料センター”は、1993年の創設以来、日本の戦争犯罪・責任について資料調査と研究を積み重ね、これまでの研究蓄積を踏まえた『日本軍「慰安婦」問題に関する声明』を2013年6月9日に発表した。以下はその要約。※若い人でも理解しやすいよう、難しい言葉は置き換えて一部を再構成。
(1)日本軍「慰安婦」制度に関する旧陸海軍や政府関係資料は、1993年の河野談話の発表以降も数多く発見され、その多くが公表されている。慰安婦制度は旧日本陸海軍が発案し、慰安所設置の計画立案、業者の選定・証明書発給・資金の世話、徴集する女性の人数の算定、女性集め、女性の輸送、慰安所の使用規則・料金の決定など慰安所の管理、物資の提供など、全面的に軍が監督・統制した。そして日本軍の占領地であった中国、東南アジア、太平洋諸島、さらには沖縄など日本軍駐留地の殆どで慰安所を開設し、そこに女性を送り込んでいった。また外務省、内務省、朝鮮・台湾総督府など国の多くの機関も深く関与した。これほどの地域的広がりと規模の大きさ、組織性は、他国の軍には見られない特徴である。
(2)極右政治家は日本軍「慰安婦」制度と同じような制度が世界の各国にもすべてあったかのように主張しているが、その根拠を示す資料はまったく提示されていない。これまでの研究では、第二次世界大戦時において日本軍「慰安婦」制度のような国家による組織的な性奴隷制を有していたのは、日本とナチス・ドイツだけであった。当時、公娼制のなかったアメリカや、公娼制を廃止していた国(英国など)が多く、将兵が民間の売春宿を利用することはあったとしても、軍が組織的に管理運営することは許されない国が多かった。諸外国の軍人による性暴力もあったが、それは「慰安婦」制度とは別のものであり、それらを混同させて、日本軍「慰安婦」制度を免罪することはできない。
(3)「慰安婦」にされた女性の被害について、日本の裁判所は既に複数の判決を出し事実認定を行なっている。たとえば、「日本軍構成員によって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女も含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわゆる慰安婦状態にする事件があった」(中国人「慰安婦」第一次訴訟、東京高裁判決2004.12.15)と、強制的な拉致・連行を事実認定している判決も出されている。あるいは「原告は、その慰安所の営業許可直前、泣いて抗ったが、軍医による性病検査を受けさせられ、営業許可後は、意に沿わないまま従軍慰安婦として日本軍人の性行為の相手をさせられた。原告がいやになって逃げようとすると、そのたびに慰安所の帳場担当者らに捕まえられて連れ戻され、殴る蹴るなどの制裁を加えられたため、原告は否応なく軍人の相手を続けざるを得なかった」(在日韓国人裁判、東京地裁判決1999.10.1)と、慰安所における強制と人権蹂躙を事実認定した判決も出されるなど司法が認めている。
(4)日本軍「慰安婦」とされた女性のうち、日本本土の女性や、植民地であった朝鮮・台湾の女性は、売買され、だまされたりなどして国外へ連れていかれ、慰安所で本人の意思に反して使役された。これは、人身売買や誘拐にあたり、また当時の刑法でも「国外移送目的誘拐罪」「国外移送目的人身売買罪」「国外移送罪」と呼ばれる犯罪に該当した。その実行は、主として植民地の総督府または軍の選定した業者などが直接行なったが、人身売買や誘拐などの事実を憲兵や軍医をはじめ軍が知らなかったとは考えられない。
被害女性たちへの「強制」の問題を、官憲による暴力的「拉致」のみに限定し、強制はなかったとする主張は、「国外移送目的誘拐罪」「国外移送目的人身売買罪」「国外移送罪」など刑法上の犯罪を不問に付し、業者の行為や女性たちの移送が、軍あるいは警察の統制下にあったという事実を見ようとしない議論である。慰安所の生活の中で、自殺に追い込まれたり、戦火に巻き込まれて死亡した女性たちも少なくなかった。
(5)日本政府は北朝鮮による拉致の認定にあたっては、暴力的に連行されたか、甘言によって連行されたかの区別なく、ともに「拉致」と認定している。しかも暴力的に連行せよとか、強制連行しましたという公文書なしに、証言などに基づき認定している。この認定は妥当なものであると私たちは考える。これに照らし合わせてみれば、「慰安婦」問題についてのみ暴力的な連行だけが問題であるかのように矮小化するのは、ダブルスタンダードでしかない。重要なことは連行時における暴力ではなく、連れて行かれた慰安所における強制と性暴力、人権蹂躙である。
(6)日本軍「慰安婦」とされた女性たちのうち、(主に朝鮮以外の)中国・東南アジア・太平洋地域の女性たち(インドネシアで抑留されたオランダ人女性を含む)は、人身売買だけでなく、日本軍に脅された地域の有力者から、「人身御供」として提供され、あるいは日本軍や日本軍支配下の官憲によって直接拉致されて慰安所に入れられるケースも多かった。慰安所に入れられた女性たちは強制使役された。
(7)戦前の日本にあった公娼制度は事実上の奴隷制度であった。公娼とされた女性は廃業の自由と外出の自由は法令上認められていたが、その事実は当人に知らされなかったし、前借金(ぜんしゃくきん)を返さなければならないため廃業できなかった。こうした公娼制度に対して、「人身売買と自由拘束の二大罪悪を内容とする事実上の性奴隷制なり」と厳しく批判し、公娼制廃止を求める県会決議は22 県で採択され、公娼制を廃止した県も15県にのぼっていた。国際社会からも批判を受けて内務省警保局は1935年には公娼制廃止案を提案するようになっていた。「慰安婦」は公娼と同じだから問題ないというような議論は、女性の人権が認められていなかった戦前期における政治家に比べても、人権意識が著しく欠如していると言わざるを得ない。
そして日本軍の「慰安婦」制度は、居住の自由はもちろん、廃業の自由や外出の自由すら女性たちに認めておらず、慰安所での使役を拒否する自由をまったく認めていなかった。故郷から遠く離れた占領地に連れて行かれたケースでは、交通路はすべて軍が管理しており、逃亡することは不可能だった。公娼制度を事実上の性奴隷制度とすれば、日本軍「慰安婦」制度は、より徹底した露骨な性奴隷制度であった。
(8)当時、こうした女性への人権侵害は、国際法によっても禁じられ、日本は締約国としてそれらの条約に加入していた。「婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約」(1921)は、「詐欺により、または暴行、脅迫、権力乱用その他一切の強制手段」をもって女性を性的業務に就かせることを禁止していた。「慰安婦」にされた女性の中には高い比率で未成年の少女がいたが、未成年の場合は、たとえ「本人の承諾を得たるときといえども」それを「犯罪」として明記していた。さらに、これらの「犯罪」が起こらないよう、日本を含む各締約国は予防をはかり、もし「罪を犯す者」があれば「捜索しかつこれを処罰する」ことを約束している。これらの諸条約は今も消滅しておらず、日本は条約下にある。「慰安婦」制度は、当時も今も犯罪であり、公的立場にある者が、日本国民が性的犯罪を容認しているかのように放言することは、国際社会のみならず、国民全体に対する侮辱というほかない。
(9)国連の拷問禁止委員会は、2013年5月31日に日本国に対し、
●「慰安婦」とされていた被害者の救済のために、性奴隷制の犯罪について法的責任を認めること
●公的人物などが「慰安婦」が受けた被害事実を否定する言動を繰り返していることによって再び精神的外傷を受けていることについて国として反論すること
●関連資料を公開し事実を徹底的に調査すること
●被害者の救済を受ける権利を確認し、それに基づいて効果的な救済と賠償を行うこと
●この問題について公衆を教育し、あらゆる歴史教科書にこれらの事件を記載すること
などを求めている。また社会権規約委員会は5月17日に日本政府に対して、「『慰安婦』に対するヘイトスピーチを防止するため、締約国が『慰安婦』の搾取について公衆を教育するよう勧告」している。
(10)日本政府は、日本軍「慰安婦」問題について既に謝罪済みと弁明している。たしかに「アジア女性基金」を受け取る元「慰安婦」の方々に、その時々の首相が署名し、「心からおわびと反省の気持ちを申し上げます」と記した手紙が渡された。しかし、この手紙は、法的責任と賠償責任を否認した上で、「道義的な責任」しか認めていない。日本政府の用語法で「道義的な責任」とは、法的責任への否認を暗に含んだ軽い責任を意味する。いったん「内閣総理大臣の手紙」を受け取ったのち、表面的な謝罪にすぎないことに気づき、元「慰安婦」が日本大使館に手紙を突き返した事例もある。 元「慰安婦」の方々に不十分であれ謝罪の意を示している河野談話を見直そうとする動きは、そうした「道義的責任」をも否定しようとするものであり、とうてい認めることはできない。
(11)上記「内閣総理大臣の手紙」は、「おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝える」とも記している。しかし、かつて中学教科書のすべてに記載されていた日本軍「慰安婦」の記述は、現行の教科書から全部なくなっている。安倍首相をはじめ現在の政府・自民党の要職についている少なくない政治家が、当時、歴史教科書から日本軍「慰安婦」の記述を削除させ、あるいはそうした記述のある教科書を学校で使わないようにさせる運動を支援してきたことは周知の事実である。日本政府は「内閣総理大臣の手紙」で表明した約束さえ履行していないのである。
(12)朝鮮戦争において韓国軍が「慰安婦」制度を持っており、韓国政府がそれを米軍にも提供したことがわかっているが、当時の韓国軍の幹部の多くは旧日本軍あるいは日本のかいらい軍であった旧満州国軍の将兵、つまり対日協力者たちだった。旧日本軍の経験が韓国軍に持ち込まれたと言える。これは日本軍の弊害が韓国軍に伝わってしまったということであり、その原因は日本軍にあったことも認識しなければならない。
(13)「従軍慰安婦」という言葉が当時なかったという理由で、「慰安婦」の存在自体を否定しようとする議論が今もなされている。しかし当時の軍の文書においても「慰安婦」「軍慰安所従業婦」「軍慰安所」などの言葉が使われていた。従って、日本軍部隊のために設置された慰安所に拘束された女性を、「従軍慰安婦」あるいは“ 日本軍「慰安婦」” という言葉で表すことは何ら問題ではない。
(14)安倍内閣は、1993年の河野談話の調査結果発表までに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」(2007.3.16) と答弁書を出し、その後もそうした資料がないことのみを強調する政府見解をくりかえしている。こうした答弁は、1993年時点で存在のわかっていたスマラン事件関係資料や、強制的な連行を示す東京裁判検察側証拠書類などを無視した不当な答弁であり、もしそのときの政府調査にそれらの資料が含まれていなかったとすれば、政府調査のずさんさを示すものでしかない。さらに1993年以降、数多くの関係資料が発見公表されているが、それらの成果をまったく無視するものである。
国連拷問禁止委員会の勧告にあるように、日本政府は徹底した資料調査をおこなうべきである。それをせずに、上記のような答弁を繰り返す行為を拷問禁止委員会は厳しく批判している。橋下市長や安倍首相をはじめとする自民党、維新の会、その他の政治家たちの暴言、妄言が、人権意識を欠落させたものであり、深刻な被害を受けている元「慰安婦」の女性たちをさらに一層傷つけるものであることに鑑み、そうした暴言を直ちに撤回し、人権蹂躙を恥じない政治家は直ちに公職を辞任すべきである。私たちは、橋下市長や安倍首相らが流した誤った「事実」認識が正され、上記の事項が日本内外の人びとによって正しく認識され、日本軍「慰安婦」問題が根本的に解決されることを強く願うものである。
過去の反省と愛国心は両立する。これ以上、偽りの歴史で被害者を傷つけることはやめよう。僕は、竹島は日本の領土だと思っているし、中国共産党政府のチベット弾圧に反対しているけど、元慰安婦に関してはあまりに日本政府の対応は“情”がなさ過ぎる。早く東アジアに真の和解が訪れますように。
転載元: 情報収集中&放電中