「あるアトリエの100年」と水仙の群生が観たい+熊楠
萩」「あやめの衣」などで知られる洋画家・岡田三郎助が残したアトリエをめぐるドキュメンタリー。東京の恵比寿にある同アトリエで見つかった16ミリフィルムなどを通し、そこに集った後に羽ばたいていった芸術家たちの軌跡を…
ああ、アールヌーヴォの本の数々です。
「原始女性は太陽であった」青踏の雑誌の表紙がそうです。
このようなシャビーな窓や家が大好き、それが有名画家のアトリエと知ればなおさらです。
いわさきちひろ、フジタと聞けば。
まだ映画レビューも無し。
水仙もようやく見ごろになったそうです。群生が観たいです。
3月は自律神経の乱れで肩コリや冷え症で悩む人が多く、
玄米や根菜、旬の野菜,きのこ(これが恐くなってしまいました)等を
食べ歩くのがよいそうです。
もう肉などあまり食べられない私でも野菜やご飯、玄米雑穀なら
OKです。
ストレスでこうなる方も多いのですが今はそれほどストレスなく人生で一番楽です。もう親にも叱られない
今朝のBSの英雄たちの選択「血の巨人熊楠・熊野の森を守る」で
磯田氏が草の根の署名では変わらない、役所が動かなければと言ったら元三重県知事北川氏が住民の署名がなければ役所も動かないと言ってくれました
知事時代
今から100年前、熊野の森を守れと、敢然と立ち上がったひとりの博物学者がいた。南方熊楠である。彼は、若いころ渡英し、科学雑誌「ネイチャー」に次々に論考を発表するなど明治日本が生んだ“知の巨人”である。帰国した熊楠は、明治政府の神社合祀政策に反対し、鎮守の森を守ろうとする。困難を極めた彼の運動は、民俗学者柳田國男らの応援によって、しだいに全国に輪を広げていく。南方熊楠の苦悩と決断をたどる。今から100年前、明治政府の神社合祀政策に反対し、鎮守の森を守ろうとした博物学者がいた。知の巨人といわれる南方熊楠である。自然保護運動の草分けの苦悩をたどる。