被爆体験もあるエキストラ8万8千人の「ひろしま」をみて
①原爆投下したパイロットの言葉。
映画は、高校の英語の授業から始まります。
ここで、戦後であることが分かります。
アメリカ軍で広島に原爆を落としたB29爆撃機「エノラ・ゲイ号」のパイロットの言葉が、ラジオから流れるのを聞いています。
その言葉は、「日本の真珠湾攻撃」とフィリピンでの「死のバターン行進」への憎しみと共に、広島に近づくにつれ、一瞬にして広島を「大量殺戮」の場とすることへの心の傷みとの葛藤が語られ、
その上で、日本に原爆を落とすことの正当性を、自ら納得させる言葉につながります。
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②有色人種だから原爆を落とすことが出来た。
教師(岡田英次)が一冊の本を読みます。
「ドイツではなく日本に原爆が落とされたのは、日本人が有色人種だからだ」という、(ヨーロッパの学者、或いは文学者が書いたであろう)一節を読みあげます。
*私は、この言葉は「その通りである」と感じてきました。
有色人種であるからこそ、原爆を落とすことが出来たのだと思っています。
2004年2月24日の毎日新聞で、作家の井上ひさしの文章があります。
HP「日日是・・・2009年8月6日」で、それを読んだ私の想いを書いたのですが、その1節を引用します。
井上ひさしの発言から。
(2004年2月24日の)新聞の記事は、作家・井上ひさしが会長を努める日本ペンクラブが「自衛隊のイラク派遣反対」を出したことについて述べたものでしたが、原爆投下に関してのみ引用します。
<特集ワイド・この国はどこへ行こうとしているのか>作家・井上ひさし。
2004年2月24日、毎日新聞・夕刊。
米英などは、私の子供の頃は「鬼畜米英」でした。鬼だからいくら殺してもいいという論理です。 *ポツダム会談中の1945年7月、当時の米大統領トルーマンは原爆実験が成功したとの暗号電報をうけとります。 でも彼は、原爆を落としていいのか悩むんです。これは史実として記録に残っていますが、ふんぎりがつかずにチャーチル英首相に相談する。 チャーチルはなかなか面白い人物で、評価する日本人は多いんですが,「落としなさい。相手はサルじゃないか」と言うんです。それでトルーマンは決心する。 チャーチルは1953年にノーベル文学賞を受賞しています。言葉に対してとても鋭い人でした。ドイツ語、フランス語も堪能でしたが「相手側の言語構造の中でモノを言っていると、 |
③ピカ(原爆)で死んだ人間の頭骸骨を米兵に売る。
こうしたことは、マンガ『はだしのゲン』にも描かれており、米兵が喜んで記念に買うようになっています。
おそらく、戦後の広島では、一方では生活のため(と、アメリカへの復讐の想いも入れて)、かなり行われていたのではないかと想像します。
マンガ『はだしのゲン』では、川底にある頭骸骨を探して、アメリカ兵に売りつける箇所があります。
当初は反対していたゲンも、仲間と共に売りつけるのですが、一緒に生活していた老人が、頭骸骨に「怨」という字を書いて、ゲンに言います。
“わしの家族をおばけのようにして殺しやがって。
今も、わしらを苦しめている怨みをはらしてもらいたいんじゃ。
みんな、たのむぞ。”(4巻、p194~224)
映画とマンガの表現方法は異なりますが、原爆で殺されたことへの憎しみには変わりありません。
ただ、私には、マンガでの「怨」の文字に、より直接的な気持ちが表わされているように感じたのですが。
上記の①②③点が、「反米的」として、配給元に成る筈の松竹からカットを要望されます。
しかし、監督の関川(と製作スタッフ)は、カットを拒否します。
そのため、一般公開は出来なくなり、ごく限られた上映の後に、いわゆる「お蔵入り」になってしまいました。
日本では上映がされずに、外国の映画祭では絶賛され「1955年ベルリン国際映画祭・長編映画賞」を受賞されるにいたります。