riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

田中絹代、西城秀樹、天地真理、ジュリー、ショーケン、

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虹をわたって(1972年9月29日公開)の映画。家出娘が、ダルマ船にまぎれ込んで来たためにまき起こる騒動を、歌と笑いで描く。脚本は「蒼ざめ…
 
天地真理の映画にジュリーやショーケンが共演していたとは
 
スーパーカーに乗ったりヨットに乗ったり、その対極にダルマ船に半ばホームレス状態で居座っている水上生活者たち、懐かしいわき役の武智豊子、あの声、あの顔忘れません。
 
身長145センチの小柄さとしゃがれ声から「女エノケン」と呼ばれ、その当時はすさまじい人気で、東京六大学に「武智豊子親衛隊」ができたほどであった。
そんな人気者だったとは。
 
 
昔の時代劇のような部分もあります。日色 ともゑも登場、豪邸も。
 
西城秀樹があの大スター田中絹代と共演していたというので観ました。
2作ともCS衛星劇場
 
西城の青春映画と思ったらこれは田中絹代主演ではありあ㎡せんか、最上の歌もなく。
これも「東京物語」のような話なのですがさすが田中絹代、一気に見せます。
 
子供の時に観た彼女の演技、惹かれました。特に美人でもないのに。琵琶で鍛えた声でしょうか。
 

田中 絹代
『人生のお荷物』(1935年)
田中 絹代
田中 錦華(たなか きんか)
(1909-11-29) 1909年11月29日
(1977-03-21) 1977年3月21日(67歳没)
日本の旗 日本山口県下関市関後地村(現在の同県同市丸山町)[1]
日本の旗 日本東京都文京区本郷
152cm
女優映画監督
歌劇劇映画時代劇現代劇サイレント映画トーキー)、テレビドラマ
1919年 - 1977年
1920年:琵琶少女歌劇に入団
1924年松竹下加茂撮影所に入社
1925年松竹蒲田撮影所に移籍
1949年:日米親善使節として渡米、松竹を退社
1953年:『恋文』で初監督
1966年テレビドラマに初出演
1977年:死去
なし
映画
愛染かつら[1]
女優須磨子の恋
西鶴一代女[1]
雨月物語[1]
安宅家の人々
楢山節考
おとうと
サンダカン八番娼館 望郷
テレビドラマ
樅ノ木は残った
前略おふくろ様
雲のじゅうたん
[表示]
 
受賞ベルリン国際映画祭 その他の賞
勲三等瑞宝章(1977年)
紫綬褒章(1970年)
芸術選奨文部大臣賞(1974年)
田中 絹代(たなか きぬよ、1909年11月29日 - 1977年3月21日[1])は、日本女優映画監督。本名同じ。旧芸名は田中 錦華(たなか きんか)。
黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。小津安二郎五所平之助溝口健二成瀬巳喜男清水宏木下惠介ら大物監督に重用され、約260本の作品に出演した。14歳で松竹に入社し、清純派スターとして人気を得て、松竹の看板女優となった。戦後は年齢を経るに従って演技派として成長し[2]、脇役を演じることが多くなるも円熟した演技を見せ、晩年は『サンダカン八番娼館 望郷の演技でベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀主演女優賞)を受賞した。主な作品に『マダムと女房』『愛染かつら』『西鶴一代女』『雨月物語』『煙突の見える場所』『楢山節考』『おとうと』など。また、映画監督としても6本の作品を残している。
 
日本で初の女性監督
 
 
 
池上季実子が可愛い。