明治の金メダリスト、虎を極めた孤高の画家、翠石と日本という怪しいシステム
10年前十朱幸代が鑑定団に出してる翠石の絵、すっかり忘れてました。
新聞にこの虎図が載り、久しぶりに美術館へ。
岐阜駅には金ぴかの信長像がマスクしている!
特に右のバラと仔猫は泣きたいぐらい可愛い
他にも2匹の仔猫が同じ枝で見つめあい、違う猫が下から見ている図、
観音、鶏、魚、クジャク、カンガルー、ライオン、白熊などなど
生きて飛んでいるように見える猛禽と思ったら仔虎をつかんでる「悲憤」(T-T)
ネコが得意だった翠石、ネコが描けるなら虎も描けるでしょうと言われて、虎を極めた孤高の画家になった。
江戸時代までの画家は虎を観たことはないので猫のような虎しか描けなかった。
明治に見世物や動物園で本物を見ることが出来、虎絵は変貌!
岸竹堂は虎の絵を一変させたが晩年あまりに虎の絵に没頭するあまり心身をすり減らしついに発狂したという。
明治の金メダリスト大橋翠石
こんな凄い画家が郷土の大垣以外で忘れさられていたのは画家同士の交流もなく、弟子も一人だったから?
虎が戦争に利用されたから?
トラは千里を行き、千里を還るという俗信が有り出征兵士の無事を祈り留守宅の床の間に虎図をかけたり
お守りとして持たせた、その帰結が千人針
翠石が出征する五男太郎のために描きあげた千虎肌襦袢
70も半はをすぎた翠石が極く細い筆を使って無数の虎を描いている。
翠石はなんと渡辺崋山の次男小華に師事
20台で師、父母を失い、死病だった結核を患ったが自身は克服した結核で四男を失ってる。
翠石に一番似ていて、画才に優れ、写真を趣味としていた源一郎は20才の若さだった。
娘のチズのために大きな豪華極まりない表猛虎・裏白鶴乃図屏風を嫁入り道具として描いた。
実物の迫力は写真では出ません。
日本画家・大橋翠石(おおはし すいせき)(1865~1945)は、日本美術史の中でも特別な存在です。明治33(1900)年のパリ万国博覧会で、日本人画家として唯一の金メダル(金牌)に輝き、4年後のセントルイス万国博覧会でも連続して金メダルを受賞した翠石は、当時、世界で最も高く評価された日本画家の一人でした。
大橋翠石は現在の大垣市に生まれ、上京して渡辺小華(しょうか)に師事して絵を学びました。しかし翌年、師や母を立て続けに亡くして帰郷、更に濃尾大震災で被災し、父と家を失います。数々の不幸を乗り越える力を虎の絵に求めた翠石は、研鑽を重ねて独自の画風を完成しました。その後翠石は療養のため神戸の須磨に隠棲し、動物たちを描きながらたった一人で自分の芸術を追求し続けました。
後半生を画壇と無縁で過ごした大橋翠石の芸術を今や知る人は少なくなりつつあります。ですが、彼は生前、横山大観や竹内栖鳳という東西の画壇の巨匠と同等の評価を受けていました。また、明治天皇、東郷平八郎、大隈重信など、錚々たる人々が翠石の絵を愛し、所蔵していました。
本展は2008年に愛知県田原市、岐阜県大垣市で開催された「大橋翠石―日本一の虎の画家」展以降12年ぶりの展覧会であり、各地から相次いで発見された名作によって翠石の画業を通覧できる、過去最大規模の回顧展として開催するものです。セントルイス万国博覧会で来場者を魅了し、「その絵を一生忘れることができない」とアメリカ人を感動させた明治の金メダリスト、大橋翠石。その全貌をご紹介します。
@260yamaguchi
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日本スゴイとか言って喜んでいる人こそ、他国、地球に迷惑をかけた時には進んで償うよう声を出すべき。日本政府の他人事感は、この問題でも発揮されている。
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@hiranok
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コロナも放置、モーリシャスの事故も無視。そういう首相をどうして支持できるのか? コメントさえしないというのは、どうかしている。 / 安倍首相だんまり 日仏落差「モーリシャス史上最悪」の環境危機に(志葉玲) (Yahoo!ニュース 個人) #NewsPicks https://news.yahoo.co.jp/byline/shivarei/20200814-00193173/
きっこ
@kikko_no_blog
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かつて石原慎太郎と言う国賊が東京都知事の座にふんぞり返っていた時、毎週金曜日に1時間だけしか都庁に顏を出さずに2500万円を超える年収をポケットに入れていたため「時給52万円」などと批判されたが、今の安倍晋三も同じことをしている。