<span itemprop="headline">歌舞伎座と東京フリーツアーのホテル</span>
blogramランキング参加中←よろしかったら応援お願いします
日曜日で懐しいような歩行者天国になっていてアジア系の観光客で賑わっていました。
三越屋上ガーデン
一階。エレベータもカード必要。
一人なので窓開けたら無骨な非常階段しか見えませんでした。
ウィーンで泊まった時も窓は室内階段が見えるだけ、九段会館は窓なしだったか。
でもツアーでなく自分で決めたホテルはこんなことはありません。
ドイツコブレンツでは部屋内が二階建て、階下にシャワー、上にベットでした。
イタリアコモ湖では身分不相応な元貴族の屋敷のホテルに泊まるはめになりました。
ほとんど飛び込みで予約していません。
でもこの銀座のホテル朝食が美味しかった。バイキングなのですがとろろ芋や和風のおかずスープも中華もあります。
浴室も安っぽくなかった。
初日は夜の部鑑賞だったのでホテルに入る前にお寿司を、24時間営業のお店。
ノーベル賞晩餐会に出されたお酒を常連さんに出していました。
ブルーの瓶に入った甘い酒。
実は隣にもっと安い海鮮屋さんがあったのです。
翌日は11時からの昼の部鑑賞のため散歩しました。
著名人の葬儀でテレビで拝見していました。
築地市場のお寿司は結構お高いですね。
帰宅して数日後BSで築地市場の番組観ました。
そのほか、包丁砥ぐ方の映像なども指切りながらなんて話も興味深かった。
http://tsukijihongwanji.jp/伊東忠太設計の古代インド様式建築
築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立。「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。
現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は、当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部教授・伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井建設の施工により1934年に完成している。伽藍には大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂と石塀が国の登録有形文化財に登録されている。 浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月1日付)に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」になった。これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となる。
お寺にタイルなど不思議な建築
歌舞伎座に来るにはいつも有楽町まで歩いてそこ止まりなので東劇も初めて観ました。
お正月の二人藤娘やオペラ映画のポスターが~♪