riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">歌舞伎座と東京フリーツアーのホテル</span>


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歌舞伎座ツアーに付いているホテルは歌舞伎座から歩いて数分の便利な場所でした。
日曜日で懐しいような歩行者天国になっていてアジア系の観光客で賑わっていました。
 

 三越屋上ガーデン
 


 
隣は工事中、松坂屋がなくなっています。ホテルグレイスリー銀座
一階。エレベータもカード必要。
 

 
一人なので窓開けたら無骨な非常階段しか見えませんでした。
ウィーンで泊まった時も窓は室内階段が見えるだけ、九段会館は窓なしだったか。
 
でもツアーでなく自分で決めたホテルはこんなことはありません。
ドイツコブレンツでは部屋内が二階建て、階下にシャワー、上にベットでした。
イタリアコモ湖では身分不相応な元貴族の屋敷のホテルに泊まるはめになりました。
 
ドイツライン河沿いの古城ホテルは中は現代的でした。
ほとんど飛び込みで予約していません。
 
でもこの銀座のホテル朝食が美味しかった。バイキングなのですがとろろ芋や和風のおかずスープも中華もあります。
 
浴室も安っぽくなかった。
 

 

 
初日は夜の部鑑賞だったのでホテルに入る前にお寿司を、24時間営業のお店。
 
ノーベル賞晩餐会に出されたお酒を常連さんに出していました。
ブルーの瓶に入った甘い酒。
 
実は隣にもっと安い海鮮屋さんがあったのです。
 
翌日はそこのバラちらしにしました。お客で一杯。私でバラ寿司終わり、私は歌舞伎座に持ち帰りました。
 

 

 
翌日は11時からの昼の部鑑賞のため散歩しました。
築地市場築地本願寺、初めて訪問。
著名人の葬儀でテレビで拝見していました。
築地市場のお寿司は結構お高いですね。
帰宅して数日後BSで築地市場の番組観ました。
最後に築地は音楽だ!というチェリスト、もうお亡くなりになりましたがロストロポーヴィチが登場♪
 
そのほか、包丁砥ぐ方の映像なども指切りながらなんて話も興味深かった。
 

 

http://tsukijihongwanji.jp/伊東忠太設計の古代インド様式建築
 
京都西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派
 
築地本願寺は江戸時代の1617年に、西本願寺の別院として浅草近くの横山町に建立。「江戸浅草御坊」と呼ばれていた。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679年に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。
1923年9月1日関東大震災では地震による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。又、58ヶ寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転。
現在の古代インド様式(天竺様式)の伽藍は、当時の浄土真宗本願寺派法主大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部教授・伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井建設の施工により1934年に完成している。伽藍には大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂と石塀が国の登録有形文化財に登録されている。 浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月1日付)に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」になった。これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となる。
 

 
お寺にタイルなど不思議な建築

 
 

 
歌舞伎座に来るにはいつも有楽町まで歩いてそこ止まりなので東劇も初めて観ました。
お正月の二人藤娘やオペラ映画のポスターが~♪
 
 
 

 

 

 
この十二支のこと
 
国の重要文化財、武雄温泉楼門(佐賀県武雄市)に施されている四つの干支のレリーフが、修復工事を昨秋終えたJR東京駅丸の内駅舎ドームの八つの干支のレリーフと関連性が高いことが分かった
 
武雄温泉楼門は木造2階建ての鮮やかな朱塗りで、和風建造物
天井には、東西南北を示す四つの干支(卯、酉、午、子)が約30センチ四方の杉板に刻まれ、当時のまま保存されている
 
東京駅のドームの天井には、ヘビやタツなど8つの干支のレリーフがある
レリーフは1914年の完成時に作られたが、第二次世界大戦中に駅舎とともに焼失。昨年10月、約5年の修復工事を経て復刻された
■ 建築家、辰野金吾が設計
武雄温泉の楼門と東京駅は、いずれも日本の近代建築の先駆者である佐賀・唐津市出身の辰野金吾氏が手がけた建築物だった
辰野が東京駅を完成させたのは1914年。楼門は東京駅が開業した翌年の1915年に完成し、2005年に国重要文化財に指定された
■ 際立つ関連性
「辰野式」と称される赤れんが造りの西洋建築の東京駅と、竜宮城を思わせる和風木造建築の楼門
■ 遊び心?

武雄温泉楼門天井に施された干支のレリーフ

東京駅の復元にあたり、レリーフを監修した東京芸術大学の深井隆教授は「一番重要な東西南北の動物がいなくて、それ以外の『八支』がいたというのは、すごく不思議に思いましたね」
「佐賀の建物(楼門)の中にそれを入れて、1つの完成体としてみても面白い。辰野金吾さんのユーモアとかうんちくが出てるのかも」と話す