riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

恥かしい、玉三郎丈に質問してしまった!

遠いので迷ったのですが イメージ 1 関で初めて人間国宝になられた土屋氏は若き日に玉三郎丈と染色家志村ふくみ氏との対談を読んで染色家を目指したと。 この話には玉三郎丈も責任のようなものを感じると。 土屋氏が大事にしておられるこの対談集と玉三郎丈の初期の本、私も持っています。 対談のお相手は吾妻徳穂、淡谷のりこ、水谷八重子ら当時一流の女性芸術家、お相手する方々も若き玉三郎丈との話は楽しかったことでしょう。 昔からしっかりとした考えをお持ちの玉三郎丈ですから、 綺麗だけではありません。 豪華なトークショー人間国宝対談が実現. 関市文化会館第260回市民の劇場歌舞伎 を知ろう!として、トークショーシネマ歌舞伎上映を開催。坂東氏が仕事への想いを 楽しく語る。 関市の人間国宝(紋紗)である土屋氏との対談。思い出の歌舞伎、 ... イメージ 2 土屋氏の作品 一部は対談、二部は玉三郎丈のトーク 一部の舞台に飾られた衣装は誠に涼やかで今の季節にぴったり、 色は同じ物を染色家に依頼しても無理なんですね、微妙なものです。 縞は庶民の物、貴族は着ません。失礼かもと。 ニ部は玉三郎トーク NYやイタリア旅行の写真を見ながら。 お若い時からイタリアでは布を買い占め 私など布が好きで何も作らないのにハギレを買ったりします。 トワルドジュイをカーテンやバックにしてもらい案した。 お好きな素潜りの映像もBS朝日で今月末に放送があります。 最後に観客の質問に答えると言うもの。 休憩中に書いてもらった質問の次に。 最近手を挙げて発言してしまう私、 勢いよく声出して手を挙げれば 当ててくれます。 冥土の土産に。 玉三郎丈のトークで今回初めに昨日観たミュージカル「レ・ミゼラブル」日本人の歌唱力が上がってとてもうれしくなったと言われたので ミュージカル大好き人間としては狂喜しました。 政岡の子役で共演した子役がガブローシュに 又玉三郎丈はLED(生涯使える電球を確保)やスマホの危険性(幼い時から使うと言語が遅れる)をしきりにおっしゃる。 人と人のつながりが薄れてしまった、失われた時を求めて 生の舞台観る人が減り危機感、人と人とのつながり薄れ絶望感のようなものを抱いておられるのです、爽やかに言われるのでが。 生の舞台や美術観るのが止められない私。なんでも見たいのです。 文楽能と歌舞伎の関連性、文楽で歌舞伎が分かると言うようなお話 自分のターニングポイントになった役は お染(早変わり七役のうち一番良くないと言われたお染、深窓の姫もあわない)揚巻・桜姫・政岡・雲 の絶間姫・天守物語・日本橋・ナスターシャ ふるあめりかに袖はぬらさじ 南北・鏡花・有吉等の作家に会えたような気持ち

行って良かった 役に切り替わるのは自動的、切り替わるにはどうすればいいかという質問に答えて、当たり前ですね。もう長年修練されています~。 質問のはずがミュージカルの話しや玉三郎丈に教えてもらった映画等が良かった、舞台が一瞬に替わるとかそんな話を。 話し終わって座った途端にもう繋がっている滑り症の骨が折れているような痛みが襲いました。 走ったり急な坂を急いで登る時よりも鋭く! 帰宅したらだんだん恥ずかしくなりなかなか眠れず明け方又変な夢見てしまいました。 車を当てられた夢 志村ふくみ 滋賀県近江八幡市生まれ。1942年(昭和17年)、文化学院卒業。文化学院の1学年上級には女優の高峰秀子がいた。 31歳のとき、若い頃に柳宗悦民芸運動に共鳴して織物を習っていた母・小野豊の影響で、織物を始める[1]。 1957年(昭和32年)の第4回日本伝統工芸展に初出品で入選し、その後第五回で奨励賞、第六回、第八回で文化財保護委員会委員長賞、第七回で朝日新聞社賞、と4度の受賞を重ね、特待者となった。 1990年(平成2年)に農村の手仕事だった紬織を「芸術の域に高めた」と評価され、紬織の重要無形文化財保持者(人間国宝)の保持者に認定された。[2] また随筆の名手としても知られ『一色一生』で第10回(1983年度)大佛次郎賞を受賞している。 現在は京都市右京区嵯峨野に工房を構える。 2013年(平成25年)4月に京都市左京区岡崎に芸術体験を通して学ぶ場として、娘で同じく染織作家の志村洋子[3]とともにArs Shimura(アルスシムラ)を設立[1]。教本として『伝書しむらのいろ』を刊行した。同5月には、GALLERY FUKUMI SHIMURAをオープンした。2015年(平成27年)4月、Ars Shimura(アルスシムラ)2校目として、嵯峨校を開校した。 門下に2010年に紋紗(もんしゃ)の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された土屋順紀がいる 土屋順紀さん。関市に生まれ育ち、現在もこの地で制作活動を続ける染織家です。1954 年岐阜県関市に生まれ、京都の専門学校を卒業後、紬織の人間国宝志村ふくみ氏に 師事し、染織を学びました。1981年には、独立し関市に工房を構え、 ... 繊細に織り上げられる着物。 紋紗(もんしゃ)とは、特殊な織り方で作る軽くて薄い「紗地 」に、平織りで紋様を織り出した織物のこと。 平安時代以降「うすもの」と呼ばれて、公家 の夏装束とされてきた。現在でも着物に親しむ人たちの間では、夏の定番として定着し ... 紋紗、繊細で涼やか きちんと私を見て答えてくださった玉三郎丈、ありがとうございます! 一生の思い出です。

遠いので迷ったのですが
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関で初めて人間国宝になられた土屋氏は若き日に玉三郎丈と染色家志村ふくみ氏との対談を読んで染色家を目指したと。
この話には玉三郎丈も責任のようなものを感じると。
 
土屋氏が大事にしておられるこの対談集と玉三郎丈の初期の本、私も持っています。
 
対談野お相手はは吾妻徳穂、淡谷のりこ、水谷八重子ら当時一流の女性芸術家、お相手する方々も若き玉三郎丈との話は嬉しかったことでしょう。
昔からしっかりとした考えをお持ちの玉三郎丈ですから、
綺麗だけではありません。
 
 
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土屋氏の作品
 
一部は対談、二部は玉三郎丈のトーク
 
一部の舞台に飾られた衣装は誠に涼やかで今の季節にぴったり、
 
色は同じ物を染色家に依頼しても無理なんですね、微妙なものです。
 
縞は庶民の物、貴族は着ません。失礼かもと。
 
 
NYやイタリア旅行の写真を見ながら。
 
お若い時からイタリアでは布を買い占め
 
私など布が好きで何も作らないのにハギレを買ったりします。
トワルドジュイをカーテンやバックにしてもらい案した。
 
お好きな素潜りの映像もBS朝日で今月末に放送があります。
 
最後に観客の質問に答えると言うもの。
 
休憩中に書いてもらった質問の次に。
 
最近手を挙げて発言してしまう私、
勢いよく声出して手を挙げれば
当ててくれます。
 
冥土の土産に。
 
玉三郎丈のトークで今回初めに昨日観たミュージカル「レ・ミゼラブル」日本人の歌唱力が上がってとてもうれしくなったと言われたので
ミュージカル大好き人間としては狂喜しました。
 
政岡の子役で共演した子役がガブローシュに
 
玉三郎丈はLED(生涯使える電球を確保)やスマホの危険性(幼い時から使うと言語が遅れる)をしきりにおっしゃる。
 
人と人のつながりが薄れてしまった、失われた時を求めて
 
生の舞台観る人が減り危機感、人と人とのつながり薄れ絶望感のようなものを抱いておられるのです、爽やかに言われるのでが。
 
生の舞台や美術観るのが止められない私。なんでも見たいのです。
 
文楽能と歌舞伎の関連性、文楽で歌舞伎が分かると言うようなお話
 
自分のターニングポイントになった役は
 
お染(早変わり七役のうち一番良くないと言われたお染、深窓の姫もあわない)揚巻・桜姫・政岡・雲 の絶間姫・天守物語・日本橋・ナスターシャ
ふるあめりかに袖はぬらさじ
 
南北・鏡花・有吉等の作家に会えた気持ち
 
行って良かった
 
役に切り替わるのは自動的、切り替わるにはどうすればいいかという質問に答えて、当たり前ですね。もう長年修練されています~。
 
質問のはずがミュージカルの話しや玉三郎丈に教えてもらった映画等が良かった、舞台が一瞬に替わるとかそんな話を。
 
話し終わって座った途端にもう繋がっている滑り症の骨が折れているような痛みが襲いました。
 
走ったり急な坂を急いで登る時よりも鋭く!
 
帰宅したらだんだん恥ずかしくなりなかなか眠れず明け方又変な夢見てしまいました。
車を当てられた
 
志村ふくみ
滋賀県近江八幡市生まれ。1942年(昭和17年)、文化学院卒業。文化学院の1学年上級には女優の高峰秀子がいた。
31歳のとき、若い頃に柳宗悦民芸運動に共鳴して織物を習っていた母・小野豊の影響で、織物を始める[1]
1957年(昭和32年)の第4回日本伝統工芸展に初出品で入選し、その後第五回で奨励賞、第六回、第八回で文化財保護委員会委員長賞、第七回で朝日新聞社賞、と4度の受賞を重ね、特待者となった。 1990年(平成2年)に農村の手仕事だった紬織を「芸術の域に高めた」と評価され、紬織の重要無形文化財保持者人間国宝)の保持者に認定された。[2] また随筆の名手としても知られ『一色一生』で第10回(1983年度)大佛次郎賞を受賞している。
現在は京都市右京区嵯峨野に工房を構える。
2013年(平成25年)4月に京都市左京区岡崎に芸術体験を通して学ぶ場として、娘で同じく染織作家の志村洋子[3]とともにArs Shimura(アルスシムラ)を設立[1]。教本として『伝書しむらのいろ』を刊行した。同5月には、GALLERY FUKUMI SHIMURAをオープンした。2015年平成27年)4月、Ars Shimura(アルスシムラ)2校目として、嵯峨校を開校した。
門下に2010年に紋紗(もんしゃ)の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された土屋順紀がいる
 
 
 
 
 
紋紗、繊細で涼やか
 
きちんと私を見て答えてくださった玉三郎丈、ありがとうございます!
一生の思い出です。