<span itemprop="headline">モネの庭</span>
04年にフランスのジヴェルニーのモネの庭を見学した。
パリの西、約70キロ、セーヌ川沿いの街。観光バスを利用。
1日観光でゴッホのオーヴェル・シュル・オワーズとセットだった。
日本語のコースとは日が合わなかったので東洋人はほかに誰もいないツアーだった。
ずうずうしいが仕方なかった。
イギリスの観光バスではストーンヘイジとソールズベリー大聖堂見学の折、マグナカルタのポスターを大聖堂で買ってる間に置き去りにされた私。\(-"-)/ マイッタ
日本の観光バスとは大違いで人数の確認なんかしない。ロンドンに帰る駅を探している間に偶然その観光バスに遭遇し、バースにも行くことが出来た。
印象派の画家であると同時に優れたガーデナー(庭師)でもあったクロード・モネ。
「睡蓮」の庭はあまりにも有名で日本いはこのコピーの庭が各地に存在する。
ちょうどここへ行く前に浜松の花博のモネの庭を見学した。
モネは日本から植物を取り寄せたが、コピーの庭はまた、モネの庭から貰っているようだ。
モネが自らの手でジヴェルニーにつくった庭は、「花の庭」と「水の庭」の2つの庭がある。
意外と大きい。空の色も画家が喜びそうな様相。
それほどでもない庭と言う人もいるが水辺が大好きな私は行ってよかった。
日本の浮世絵が好きで、家にもたくさん展示している。ユゴーの家と同じだ。
日本が好きだった人には日本人も引かれる。
柳は大木となっている。
藤棚付太鼓橋は浮世絵の影響でこの庭のシンボル。モネは晩年「私の最高傑作」と言ってる。
ところが当時、睡蓮は毒があると付近の農民は大反対。
議論の末に許可がおりた。
この庭がなければ睡蓮の連作が出来ただろうか。この写真はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/24097144.html
「パレットのような庭」は鮮やかな花の色の洪水。オレンジ、ピンク、イエロー、などなど。
庭師は6人も抱えていたそうだ。
死の床のモネは日本から届けられるユリを気にしていた。さすがガーデナーでもあったモネ。
幕末に来日した西洋人はユリにも狂喜したらしい。
最後の家はモネの家付近のものです。写真はもっとあるはずです。