riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">インビクタス/負けざる者たち</span>





イーストウッドは監督30作!素晴らしい!
最近観た映画は「のだめ」や「おとうと」難解な「Dr.パルナサスの鏡」も観たのですがこのインビクタス/負けざる者たち はわかりやすくてスポーツ好きな方も満足ではないでしょうか。
私は全くラグビーがわかりません(苦笑)
映画でもスクラム組んでうんうん言ってる!のがわかります。
大変そうなスポーツ、日本は弱そう、145?対二ケタで負けたらしい。
元は弱かった南アメリカ共和国のラグビー、国内の融合のためにこれを勝たせるために…

練習に余念ない選手に黒人の子供たちを指導させる、初めはいやいやだったけど、教えることは学ぶことでもありますし、その後、マンデラが収容されていたロベン島にも行きます。
インビクタス公式サイト
クリント・イーストウッド×モーガン・フリーマン×マット・デイモン

マンデラの名もなき看守終身刑服役中の反アパルトヘイト運動指導者マンデラと看守の物語でしたがこれは大統領になってからの話。

マンデラネルー賞、ユネスコ平和賞、アフリカ賞、サハロフ賞、ノーベル平和賞、国際検察官協会名誉章受章など。称号には名誉法学博士(早稲田大学

1964年に国家反逆罪終身刑となりロベン島に収監される。1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監。この時、イギリス人傭兵の有志が集まってネルソンを救出する作戦が立てられたことがあったが、南アフリカ側への情報漏れで中止されたと言う。

冒頭、釈放されるマンデラの車を観て白人が吐き捨てるように言う言葉と大統領選挙に長蛇の列作る黒人たち。どんなにこの日を待ったことでしょう。

ラグビー観戦でも初めはブーイングされたり水の入った紙コップ投げられたり。
27年も監獄にいたマンデラにはお見通し、シークレットサービスの黒人たちは心配するのですが、そこへ敵だった白人の公安も入れるマンデラ

憎む、復讐することでは何も解決しない、報復の連鎖だから。
まだイラクに10万人もの軍隊投じているアメリカ。アフガンにも!
マイケル・ムーアが映画の宣伝に来日しても元気なかったのもこれが原因です。

誰に対してもや優しい心使い、言葉でちゃんと表現するマンデラ
これって日本の男性は苦手でしたね。

黒人はサッカー、白人はラグビーだった。
白人女性と黒人男性が恋愛関係にあると射殺されてしまったことなど昔読みました。


硫黄島からの手紙
チェンジリング
グラントリノ
感動的な実話をもとにした作品。愛情、許し,和解。尊敬します。


以下はウィキペディアWikipedia)より
舞台は南アフリカ共和国ネルソン・マンデラは 27年間の牢獄生活より解放され、初の黒人大統領となった。中枢部で働く白人たちは、マンデラの報復が始まるのでは、と戦々恐々で荷物を纏めようとするが、そんな彼らにマンデラは過去は過去とし、赦しこそがこの国の未来の礎となる、と説くのだった。マンデラのボディーガード陣も、マンデラ本人の意向で、前大統領の白人警備スタッフも採用し、黒人と白人の共同チームとなった。

そしてマンデラは多忙な政務のなかで、南アフリカラグビーチーム「スプリングボクス」が、黒人のレギュラー選手が一人というような前政権を引き摺る体質ゆえに国民である黒人の大多数に忌み嫌われていることを知る。南アフリカ議会のスポーツ評議会が、ボクスの名称・ユニフォームの変更を満場一致で決議した直後、突然現れたマンデラは白人との和解を強調し再議決を強く要求、マンデラに賛成が何とか多数ということで、ボクスは、そのまま存続となる。1995年のラグビー・ワールドカップを通して国民をまとめあげてゆこうとするマンデラは、ボクスの主将フランソワ・ピナールを茶会に招き、黒人と白人の架け橋としてのある計画への参加を依頼する。ボクスのメンバーも、以前の考えそのままの人もいたが、徐々に考えを改める。乗り気でなかったメンバーもいたチーム主催の黒人少年らを対象にしたラグビー教室も、活気が生まれる。

ワールドカップも、南アフリカのボクスが勝ち進み決勝戦に進む。強豪のニュージーランドオールブラックスが相手である。両国選手入場の後、マンデラ大統領が、スプリングボクスのユニフォーム姿で登場し、両国選手に声をかける。オールブラックスの先住民マオリの気合入れハカを披露し、試合が始まる。