riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">ドラマ歸國・15歳の志願兵とあいち平和のための戦争展</span>

 

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今年はようやくやりきれない断腸の思いを証言する方が多くなったように思えます。
もちろん日本は加害の歴史を忘れてはいけません。

徹子さんもスルメの足一本貰いたいために兵隊さんを日の丸振って送りだしたことが心の痛みになっているようです。
軍国の母とか、軍神の妻とか、美化され送りだした兵隊たちがアジア大陸で何をしたか。


あいち平和のための戦争展のご紹介です。許可貰って撮影しました。奈良の国立美術館でも許可貰えば出来るようでした。





慰安婦のコーナーで中曽根元総理が「私が慰安所を作ってやった、イモのような兵隊のために」
兵隊、「恋人のために慰安所に行くのはやめようと思ったがやはり行ってしまった。」

慰安所は金がいるが強姦はタダだから」

昨夜のTBS系ドラマ、歸國ご覧になられた方はいかがでしたか。
*8月15日の深夜に戦死した兵士たちがよみがえる所から物語始まる。
脚本 倉本聰、出演はビートたけし
大ベテラン八千草薫小栗旬のシーンは泣かせますが後は戦争展見た後は兵士たちの服装が綺麗過ぎたり演技力のない俳優?や現代で殺されたのに殴られて嬉しいと言うのは理解出来ませんでした。
これは石坂浩二 の役で、戦後苦労して育ててくれた母を病院へ入れっぱなしで死んでもないがしろにしたという設定です。お偉いさんなので病院で五年も面倒見てもらえたのでしょうか。一般人は病院たらいまわしでは?

ARATAは「ピンポン」 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(2008年、若松孝二監督作品) - 坂口弘 役「キャタピラー土曜ドラマ「リミット -刑事の現場2-」「チェイス国税査察官〜」などで別人の顔見せてくれます。上手いですね。

一枚目の画像は今晩のNHK総合(後9:00)「終戦特集ドラマ 15歳の志願兵」のモデル
舞台版
*舞台は、旧制愛知一中(現旭丘高校)「軍国少年」がつくられていく経過をドラマ化。
皆も続け!学園の"狂気"
以下は引用です。

全員が志願「愛知一中予科練総決起事件」

昭和18年、『朝日新聞』が大見出しで
「愛知一中の快挙、全四、五年生 空へ志願」
と報じた。
成瀬の母校の愛知一中の四、五年生全員が予科練を志願するというものだった。
海軍兵学校に在学中だった成瀬は、一中出身者代表として校長に手紙を送った。

「一中全校生徒を予科練へ志願させることは、無意味であります。生徒ひとりひとりの能力は、それぞれ異なります。能力に応じた道へ進ませてください。それでこそ本当に国に報いることとなります。この戦争で死ぬのは、わたしたちだけで十分なのです。」

国中が時流に流され異常な感覚になってしまう戦時下で、時の風潮に反対することは真に勇気のいることであった。

 太平洋戦争中の一九四三年七月。名古屋市の旧制愛知県第一中学校(現・旭丘高校)で、校長や教師らが講演会で国の危機を強調し生徒の愛国心をたきつけて、呼応した三年以上の生徒全員が旧海軍の甲種飛行予科練習生(甲飛)への志願を決める、という事件が起きた。「愛知一中予科練総決起事件」と呼ばれる。

校長、教師らが「愛国心」たきつけ 今に通じる教育の危うさ

 当時は戦況が悪化し、空襲も始まっていた。軍当局は戦力増強のため、全国の中学校に甲飛の志願者数を割り当てた。上級学校への進学率が高い愛知一中生は、軍では下積みコースの甲飛に魅力を感じないためか、なかなか定員に達しない。学校側が考えたのが、講演会での説得だった。
 当時の模様を、当時十四歳で三年生だった故・江藤千秋さんが著書「積乱雲の彼方(かなた)に」で書き残している。
 七月五日午前。蒸し暑い柔道場に約七百人の生徒が集められ、まず校長が「諸君が戦時下に赴くべき道は、平和な時代に歩みうる道とは異なるはずだ」と説いた。国のために身をささげることを最高の美徳とした戦時教育の時代。子どもたちも「殉国の行為」「大義のための死」という言葉を聞かされてはいた。
 だが、江藤さんは「軍務に服したい、医学で社会に奉仕を、文学一筋でなどと、当時も自らの未来像を皆、考えていた。航空兵として死地に突撃することだけがただ一つの道、と学校の最高責任者から言われ、戸惑った」と書いている。
 教師も次々に登壇し、「増援を願う前線の叫びに、諸君は注意を払わない。残念だ」などと口々に叱吃(しった)。その直後に開いたクラス会や生徒大会。「上級学校の進学しか考えないのは利己主義だ」「おれは勉強をやめる、火の玉になって太平洋を飛ぶ。皆も続け」などの殉国論が大勢を占め、「戦場へ出ることだけが唯一の報国の道か」という疑問の少数意見はかき消された。生徒大会は異常な興奮に包まれ、最後に「行く者は立て」の叫びに全員が立ち上がる。父母らの一部からは疑念の声が出たが、当時の新聞はこの事件を「快挙」と賛美した。
 同様のことは他校でもあった。予科練出身で航空特攻要員だった画家高塚篤さん(78)=東京都世田谷区=は「母校の旧制米子中学で全員志願の決議があった」と指摘。「当時の教師たちは、国からの指示でより多くの生徒の予科練志願を競った」と証言する。
 南洋で特攻・戦死した愛知一中出身の成瀬謙冶さんは、海軍兵学校時代に母校の事件を新聞で知り、「全校生徒の予科練志願は無意味だ。生徒の能力に応じた道に進ませることが、本当に国に報いること」という手紙を校長あてに出した。「校長は当時、権威の象徴。真に勇気のある発言だった」と、同級生たちの語りぐさになっている。
 戦後六十年の取材で当時を知る人に話を聞き、今も国からの指示で一斉に動く傾向のある教育現場を考える。この事件を戦時の学園の"狂気"だった、と言うのはたやすい。「時代が違う。あり得ない」と一蹴(いっしゅう)できない不安を感じた。




1978年の映画族譜(テレビ鑑賞です)
監督イム・グォンテク(林權澤)原作梶山李之)で初めて知った族譜です。

日本統治時代に強要された「創氏改名(名前を日本風に変えること)」が引き起こした悲劇を描く。水原の両班(ヤンバン)薛鎭英であるは宗家の家長として創氏改名に徹底的に抵抗した。風格があります。
















政府や新聞の好戦的な扇動に流されず戦争に反対した人たちを残酷に弾圧した後は…




被害にあわれた方の絵はプロの画家以上に強く訴えていませんか。
アメリカによる劣化ウラン弾被害のイラクの子供たちの写真ははあまりにも酷く写すことができませんでした。



名古屋も大空襲で予定にはなかった名古屋城はじめ焦土になりましたが
その前に中国重慶爆撃に加担していたのです。



中学校の歴史の教科書はうまくまとめてあると思いますがそれも文部省の検定により書き換えられてしまいます。

日本からの独立運動を目指した万歳運動に参加して軍に逮捕されて、 拷問によって獄死したという16歳の女学生、柳寛順(ユグワンスン)や石川啄木の「地図の上 朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く (1990年)」は消されてしまった。

昨日の新聞に日本が殺害した朝鮮王妃の墓を漱石が訪れているが、それ以上の記述がないとありました。