おかっぱ頭に丸眼鏡、ちょびひげ。特徴的な風貌でも知られ、日本とフランスで活躍した画家、
藤田嗣治(一八八六~一九六八年)そっくりの男性が、
名古屋市美術館(同市中区)に現れた。二十九日に同館で始まる藤田展を盛り上げようという、美術館総務課の塚本精蔵さん(36)だ。「
学芸員ではないけれど、事務方として話題づくりに協力したい」。藤田になりきり「歩く広告塔」として、来館者の注目を集めている。 (蜘手美鶴)
「もしかして、藤田さん?」。美術館ボランティアの女性がおそるおそる声をかけると、館内で作業中の塚本さんが微笑した。普段は事務室内での裏方仕事が多いが、イベントの手伝いなどで人前に出ると、来場者から握手や写真撮影を求められる。
藤田のまねをしようと思い立ったのは、
名古屋市美術館とフランス・ランス美術館の交流事業を担当したのがきっかけ。両館は二〇一三年に友好提携を締結し、ランス側が所蔵する藤田作品を展示する今回の展覧会が、初の協力事業となる。「重要な展覧会。多忙な
学芸員だけでなく、事務方も役に立ちたい」
学生時代は演劇部に所属し、役柄で姿形を変えることもあり、抵抗はなかった。昨年十一月ごろからひげを伸ばし、美容師に藤田の写真を見せて髪をカット。丸眼鏡を購入し、一月にひげを整えて完成した。職場でも好評で、鈴村良規課長は「誰にでもできることではない」と感心する。
藤田を知らない人からは好奇の目で見られるが「インターネットなどで『美術館に変わった人がいる』と広がれば、宣伝になる」。変身ぶりを知人に尋ねられるたびに、藤田展を宣伝している。
美術の専門知識はないが、藤田の多くの作品に触れ、その生き方を尊敬するようになった。「
戦争画を描いて戦後に批判され、不遇の時期でも自分のスタイルを貫いた。よほど強い自我があったと思う」。お堅い職場の役所で、公務員として疑問視されかねないスタイルを許してくれる職場に感謝しつつ、展覧会が終わるまで、藤田を貫くつもりだ。
特別展「
藤田嗣治展-東と西を結ぶ絵画-」(
中日新聞社など主催)は二十九日~七月三日。生誕百三十年を記念する展覧会で、ランス側から借りた未公開作品など約百五十点を展示する。十月一日~十二月十一日には
東京都府中市美術館で開かれる。
<ふじた・つぐはる>
東京美術学校(現東京芸術大)を卒業後、1913年に渡仏。油絵に日本の技法を取り込むことで新たな表現を生み出し、
シャガールなどと並んで、パリで活躍した外国人画家グループ「エコール・ド・パリ」を代表する画家として大成功を収めた。太平洋戦争の直前に日本に帰国し、
帝国陸軍美術協会理事長に就任。「
アッツ島玉砕」など多くの
戦争画を手掛けたため、戦後は「戦争に協力した」と批判された。再び渡仏し仏国籍を取得した後、日本に戻ることはなかった。乳白色の肌の裸婦像などで有名
今日は塚本さんに会えませんでした(笑)