今川氏真、文化の力歴史秘話ヒストリア
ラッキーだったじゃないですか
今までドラマでも情けなく描かれていた今川義元、氏真
これが戦国の世を生き延び、江戸幕府、明治政府にも文化の力で生き残ったとは。
優雅に京都の名所をめぐる。妻早川殿とは離別もせず、幸せじゃないですか
吉良さんに話は繋がります。
武力は滅びます。
叔母の女城主まで殺した信長、朝鮮に侵略した秀吉
氏真は生涯に多くの和歌を詠んだ。観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』には1,658首が収録されている。
氏真の少年時の文化的な環境から、駿河に下向していた権大納言・冷泉為和や、詩歌に通じていた太原雪斎などから指導を受けたとも考えられるが、具体的なことは知られていない[39]。里村紹巴の『富士見道記』には、氏真が冷泉為益(為和の子)から作法の伝授を受けたと記されている[
また、元和4年(1618年)著賛のある、氏真夫妻の肖像画が現存している(米国の個人蔵)。夫妻の没後まもなく遺族により追慕のために制作されたものとみられる[3]。慶長18年(1613年)2月15日、氏真に先立って江戸で死去した。法名・蔵春院殿天安理性[注釈 4]。
甲相駿三国同盟で成立した三組の夫婦のうち、離別を経なかったのは氏真夫妻のみである。