riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

必見1987、ある闘いの真実

1ヵ月半ぶりの映画館、チケット買うのに長蛇の列、満員でした これほど話題になっているとは。 これも日本人にはタイムリーな映画「タクシー運転手 約束は海を超えて」 「光州 5.18」(華麗なる休暇) 上の2本の映画も満員だったり、拍手が起きた韓国映画でした。 光州事件関係の映画は何本もあったのに。 日本がバブルで浮かれているうちに韓国は多大な犠牲を払い民主化を勝ち取り、日本は反対にこの極悪世界へ沈んでいます。 公安等も日本語で出てくるので、日本の事として考えられます。 何回も泣けます。隣の男性も泣いてました。 権力はいつも腐敗し卑劣です。 極悪権力と闘った人々はは拷問にかけられても耐えるのですが家族を殺す等言われると… 闘わないと民主主義、人権、平和も手にできない。 非常に困難な状況の中闘われた韓国の人々、映画作られた方尊敬します。 イメージ 1 「ファイ 悪魔に育てられた少年」のチャン・ジュナン監督が、韓国民主化闘争の実話を描いた社会派ドラマ。1987年1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。南営洞警察のパク所長は北分子を徹底的に排除するべく、取り調べを日ごとに激化させていた。そんな中、行き過ぎた取り調べによってソウル大学の学生が死亡してしまう。警察は隠蔽のため遺体の火葬を申請するが、違和感を抱いたチェ検事は検死解剖を命じ、拷問致死だったことが判明。さらに、政府が取り調べ担当刑事2人の逮捕だけで事件を終わらせようとしていることに気づいた新聞記者や刑務所看守らは、真実を公表するべく奔走する。また、殺された大学生の仲間たちも立ち上がり、事態は韓国全土を巻き込む民主化闘争へと展開していく。パク所長を「チェイサー」のキム・ユンソク、チェ検事を「お嬢さん」のハ・ジョンウ、学生デモに立ち上がる大学生を「華麗なるリベンジ」のカン・ドンウォンと豪華キャストが共演した。← スタッフ 監督チャン・ジュナン 撮影キム・ウヒョン編集ヤン・ジンモ音楽キム・テソン キャスト •キム・ユンソクパク所長 •ハ・ジョンウチェ検事 •ユ・ヘジンハン・ビョンヨン •キム・テリヨニ •ソル・ギョングキム・ジョンナム キム・ユンソクは88年、舞台「欲望という名の電車」で俳優デビュー。以降、ミュージカル「地下鉄1号線」(この作品テレビ鑑賞して感心しました図書館に脚本買ってもらいました)などに出演し演劇界で活躍。 ハ・ジョンウはキム・ギドク監督の「絶対の愛」(06)で観た俳優 ユへジンは「タクシー運転手」にも出ていた憎めない顔の俳優 ソル・ギョングは「オアシス」(障碍者との愛)「力道山」「シルミド」で観てファンです。 俳優カン・ドンウォンが映画「1987、ある闘いの真実」の舞台挨拶途中に涙を見せた。 カン・ドンウォンは7日、ソウル龍山(ヨンサン)CGVで行われた「1987、ある闘いの真実」の舞台挨拶に出席した。この日は文在寅(ムン・ジェイン)大統領とキム・ジョンスク夫人がチャン・ジュンファン監督、キム・ユンソク、カン・ドンウォンとともに映画を観覧した。 観覧直後、舞台に上がったカン・ドンウォンは後ろ向いて涙を拭いた。続いて彼は「この映画を準備しながら、今こんなによく生きていられるから『借りが大きいな』と思った。このような借りを少しでも返す気持ちで参加しました」とし、「今も心が痛いです。熱心に、これからもいい映画を作りながら報います」と話した。 その後、舞台上で突然涙を見せたカン・ドンウォンの映像がSNS上で広がり、話題になっている。← 監督インタビュー --1987年、監督は高校生でした。その当時の記憶や民主化闘争に対してどのようなイメージを抱いていましたか? 「私は当時、全州に住む平凡な高校3年生でした。自分の住む地域でもデモは多く行われていて、登下校の際にデモをする姿を良く目撃していました。また授業中に催涙弾の匂いのために窓を閉めきって授業していたことも覚えています。忘れられないエピソードがあります。ある日、友人に“学校の近所にあるカトリックの聖堂で不思議なビデオを見せてくれるらしいから一緒に行こう”と誘われました。好奇心旺盛だった私は友人と一緒にそれを見に行きました。その時に見たのが、「タクシー運転手~」に登場するドイツ人記者、ユルゲン・ヒンツペーターが撮影した光州事件の映像でした。劇中、カン・ドンウォンに誘われてヨニたちが見た映像です。それを見た時、とても恐ろしかった。韓国でこのようなことが起きたということが信じられませんでした。そして、その事実を大人達が誰一人として語ろうとしないことが私にとってはもっと衝撃でした」 「また高校時代のある日、道徳の時間に日頃はやらない討論を行いました。デモが悪いことだという方向に導く内容の討論でした。私は恥ずかしがり屋の学生でしたが、“大学生がデモをするのには理由があるのではないか”と質問しました。すると先生が私を睨みつけたんです。あの目は、今でも忘れられません。この時に「1987」の芽が芽生えていたのかもしれません」 --この映画を作ろうと思ったきっかけを教えてください。 「1980年の光州事件については映画、小説、論文などで取り上げられています。しかし、1980年の悲しみと怒りが凝縮され爆発して起きた1987年については語られていません。私はそのことにすごくもどかしさを感じていました。独裁政権から大統領直接選挙を勝ち取った歴史的にも重要な時期について、何故、誰も語らないのかと思いました。 また、自分も子供を育てる親となり、次の世代にどのような世の中を残すべきか、何を語るべきかについて考えるようになりました。1987年を振り返り歴史の鏡とすることができるのなら、次世代への大きなプレゼントになると思ったのです」 --本作には韓国を代表する俳優たちが多く出演しています。キャスティングについてお聞かせください。 「カン・ドンウォンさんとは、前作での共演以降、時折会ってお酒を飲む間柄です。この作品の話をしたら、シナリオができたら見せて欲しいと言われました。「格好良い男子学生」という役柄を注視しながら読んで欲しいと伝えながら、出来上がったキャスティング稿を渡しました。小さな役なので引き受けてくれるとは思わなかったですが、「必ず作るべき重要な映画だ。迷惑でなければ出演させて欲しい」と言ってくれました。お陰で、苦しい時期でしたが力強くスタートを切ることができました。ありがたい俳優・後輩です」(小さな役ではありません) 「キム・ユンソクさんは以前ご一緒した「ファイ~」でも悪役だったので、また悪役かと冗談ぽく不満を述べていました。ですが、このキャラクターの重要性について共感してくださり、引き受けてくれました。(舞台俳優は悪役上手い)実際に生きている実在の人物を作るためにはどうすべきか、とても悩みました。平坦な2Dの人物でなく、3Dの立体的な人物を作るよう努力しました。外見も似せるため、キム・ユンソクさんは顎下にマウスピースを入れたり、体を大きく見せるためにパッドも入れたりしました。脱北者から平安道地方の方言も習いました。この2人は、初期の段階でキャスティングが決まりました」 「キム・テリさんは、「お嬢さん」という映画を観た時、新人なのに演技が上手で驚きました。ヨニはテリさんのような姿、性格ではないかと思ったんです。実際に会ってみたら、ヨニにピッタリだと思いました。複雑で難しい演技を上手く演じてくれました。キャスティング稿が出来上がった頃に崔順実ゲートが明るみになりました。しかし、この政権が今後も続くか否かがまだ不透明な時期。それにも関わらず、多くの俳優さんが勇気を出して映画に参加してくれて本当に感謝しています」 --日本の観客へ向けてメッセージをお願いいたします。 「この映画は1987年に韓国で実際に起きた政治的な物語を描いていますが人間ならば誰しも感じられる「我々が社会的な共同体となり生きて行く美しさ」について語っている映画です。歴史や文化は違うかもしれませんが、日本の観客の皆さんにも1987年に韓国で起きたこの奇跡のような物語が心の奥深くに届いたら嬉しいです」 (映画.com速報)

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1ヵ月半ぶりの映画館、チケット買うのに長蛇の列、満員でした
これほど話題になっているとは。
 
 
 
上の2本の映画も満員だったり、拍手が起きた韓国映画でした。
 
光州事件関係の映画は何本もあったのに。
 
日本がバブルで浮かれているうちに韓国は多大な犠牲を払い民主化を勝ち取り、日本は反対にこの極悪世界へ沈んでいます。
 
公安等も日本語で出てくるので、日本の事として考えられます。
 
何回も泣けます。隣の男性も泣いてました。
 
権力はいつも腐敗し卑劣です。
 
極悪権力と闘った人々はは拷問にかけられても耐えるのですが家族を殺す等言われると…
 
闘わないと民主主義、人権、平和も手にできない。
 
非常に困難な状況の中闘われた韓国の人々、映画作られた方尊敬します。
 
イメージ 1
 
 
「ファイ 悪魔に育てられた少年」のチャン・ジュナン監督が、韓国民主化闘争の実話を描いた社会派ドラマ。1987年1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。南営洞警察のパク所長は北分子を徹底的に排除するべく、取り調べを日ごとに激化させていた。そんな中、行き過ぎた取り調べによってソウル大学の学生が死亡してしまう。警察は隠蔽のため遺体の火葬を申請するが、違和感を抱いたチェ検事は検死解剖を命じ、拷問致死だったことが判明。さらに、政府が取り調べ担当刑事2人の逮捕だけで事件を終わらせようとしていることに気づいた新聞記者や刑務所看守らは、真実を公表するべく奔走する。また、殺された大学生の仲間たちも立ち上がり、事態は韓国全土を巻き込む民主化闘争へと展開していく。パク所長を「チェイサー」のキム・ユンソク、チェ検事を「お嬢さん」のハ・ジョンウ、学生デモに立ち上がる大学生を「華麗なるリベンジ」のカン・ドンウォンと豪華キャストが共演した。
 

スタッフ

監督
チャン・ジュナン
撮影
キム・ウヒョン
編集
ヤン・ジンモ
音楽
キム・テソン
 
キム・ユンソクは88年、舞台「欲望という名の電車」で俳優デビュー。以降、ミュージカル「地下鉄1号線」(この作品テレビ鑑賞して感心しました図書館に脚本買ってもらいました)などに出演し演劇界で活躍。
 
ハ・ジョンウはキム・ギドク監督の「絶対の愛」(06)で観た俳優
 
ユへジンは「タクシー運転手」にも出ていた憎めない顔の俳優
 
 
ソル・ギョングは「オアシス」障碍者との愛)「力道山」「シルミド」で観てファンです。
 
俳優カン・ドンウォンが映画「1987、ある闘いの真実」の舞台挨拶途中に涙を見せた。

カン・ドンウォンは7日、ソウル龍山(ヨンサン)CGVで行われた「1987、ある闘いの真実」の舞台挨拶に出席した。この日は文在寅(ムン・ジェイン)大統領とキム・ジョンスク夫人がチャン・ジュンファン監督、キム・ユンソク、カン・ドンウォンとともに映画を観覧した。

観覧直後、舞台に上がったカン・ドンウォンは後ろ向いて涙を拭いた。続いて彼は「この映画を準備しながら、今こんなによく生きていられるから『借りが大きいな』と思った。このような借りを少しでも返す気持ちで参加しました」とし、「今も心が痛いです。熱心に、これからもいい映画を作りながら報います」と話した。

その後、舞台上で突然涙を見せたカン・ドンウォンの映像がSNS上で広がり、話題になっている。
 
 
監督インタビュー
 
--1987年、監督は高校生でした。その当時の記憶や民主化闘争に対してどのようなイメージを抱いていましたか?
「私は当時、全州に住む平凡な高校3年生でした。自分の住む地域でもデモは多く行われていて、登下校の際にデモをする姿を良く目撃していました。また授業中に催涙弾の匂いのために窓を閉めきって授業していたことも覚えています。忘れられないエピソードがあります。ある日、友人に“学校の近所にあるカトリックの聖堂で不思議なビデオを見せてくれるらしいから一緒に行こう”と誘われました。好奇心旺盛だった私は友人と一緒にそれを見に行きました。その時に見たのが、「タクシー運転手~」に登場するドイツ人記者、ユルゲン・ヒンツペーターが撮影した光州事件の映像でした。劇中、カン・ドンウォンに誘われてヨニたちが見た映像です。それを見た時、とても恐ろしかった。韓国でこのようなことが起きたということが信じられませんでした。そして、その事実を大人達が誰一人として語ろうとしないことが私にとってはもっと衝撃でした」
「また高校時代のある日、道徳の時間に日頃はやらない討論を行いました。デモが悪いことだという方向に導く内容の討論でした。私は恥ずかしがり屋の学生でしたが、“大学生がデモをするのには理由があるのではないか”と質問しました。すると先生が私を睨みつけたんです。あの目は、今でも忘れられません。この時に「1987」の芽が芽生えていたのかもしれません」
--この映画を作ろうと思ったきっかけを教えてください。
「1980年の光州事件については映画、小説、論文などで取り上げられています。しかし、1980年の悲しみと怒りが凝縮され爆発して起きた1987年については語られていません。私はそのことにすごくもどかしさを感じていました。独裁政権から大統領直接選挙を勝ち取った歴史的にも重要な時期について、何故、誰も語らないのかと思いました。
また、自分も子供を育てる親となり、次の世代にどのような世の中を残すべきか、何を語るべきかについて考えるようになりました。1987年を振り返り歴史の鏡とすることができるのなら、次世代への大きなプレゼントになると思ったのです」
--本作には韓国を代表する俳優たちが多く出演しています。キャスティングについてお聞かせください。
カン・ドンウォンさんとは、前作での共演以降、時折会ってお酒を飲む間柄です。この作品の話をしたら、シナリオができたら見せて欲しいと言われました。「格好良い男子学生」という役柄を注視しながら読んで欲しいと伝えながら、出来上がったキャスティング稿を渡しました。小さな役なので引き受けてくれるとは思わなかったですが、「必ず作るべき重要な映画だ。迷惑でなければ出演させて欲しい」と言ってくれました。お陰で、苦しい時期でしたが力強くスタートを切ることができました。ありがたい俳優・後輩です」(小さな役ではありません
キム・ユンソクさんは以前ご一緒した「ファイ~」でも悪役だったので、また悪役かと冗談ぽく不満を述べていました。ですが、このキャラクターの重要性について共感してくださり、引き受けてくれました。(舞台俳優は悪役上手い)実際に生きている実在の人物を作るためにはどうすべきか、とても悩みました。平坦な2Dの人物でなく、3Dの立体的な人物を作るよう努力しました。外見も似せるため、キム・ユンソクさんは顎下にマウスピースを入れたり、体を大きく見せるためにパッドも入れたりしました。脱北者から平安道地方の方言も習いました。この2人は、初期の段階でキャスティングが決まりました」
キム・テリさんは、「お嬢さん」という映画を観た時、新人なのに演技が上手で驚きました。ヨニはテリさんのような姿、性格ではないかと思ったんです。実際に会ってみたら、ヨニにピッタリだと思いました。複雑で難しい演技を上手く演じてくれました。キャスティング稿が出来上がった頃に崔順実ゲートが明るみになりました。しかし、この政権が今後も続くか否かがまだ不透明な時期。それにも関わらず、多くの俳優さんが勇気を出して映画に参加してくれて本当に感謝しています」
--日本の観客へ向けてメッセージをお願いいたします。
「この映画は1987年に韓国で実際に起きた政治的な物語を描いていますが人間ならば誰しも感じられる「我々が社会的な共同体となり生きて行く美しさ」について語っている映画です。歴史や文化は違うかもしれませんが、日本の観客の皆さんにも1987年に韓国で起きたこの奇跡のような物語が心の奥深くに届いたら嬉しいです」
(映画.com速報)