riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

源氏物語絵巻と徳川慶勝の幕末維新、徳川美術館

 

 
 
徳川美術館旧玄関、玄関内も風情があります。
もうここから入館はできません。正面写真も撮影できません。
 
 
徳川美術館は、江戸時代の大名家・尾張徳川家に伝えられた重宝、 いわゆる「大名道具」を収蔵する美術館です。徳川義親によって昭和6年(1931)に設立された公益財団法人徳川黎明会が運営する私立美術館で、昭和10年に開館しました。
 
 
吉宗にたてついたということで幽閉された宗春は当地では知られていて大須観音にはからくり時計もあります。
 
慶勝は尾張徳川家の分家、高須松平家に生まれました。
 
事実上の最後の尾張の殿様で、書画・博物学、文芸に秀で、
写真家大名とも呼ばれました、慶喜もそうですね。
 
米軍に焼かれる前の名古屋城の写真は貴重。
 
慶勝が収集した蝶やトンボの標本、望遠鏡、石首魚石入り刀剣など展示。
 
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会津尾張の領主が兄弟とはこれは意外で、知ったときは驚きました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
源氏物語絵巻は関屋・柏木・橋姫・寄などが展示されました。
 
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江戸時代の源氏絵巻もありましたが国宝の源氏絵巻には到底及びません。
 
子供の時の新聞小説で見た偽紫田舎源氏の展示もあり懐かしかった。
昔の人はあれほど小さな字が読めたのでしょうか。
 
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 作者は柳亭種彦(りゅうていたねひこ)。絵は歌川国貞。文政12年(1829)に初編が刊行され、38編が刊行されたのが天保13年(1842)。10年以上にわたって書かれた長編小説である。38編以後も続編予定であったが、老中水野忠邦の天保の改革による処分で続編は刊行されなかった。(ただし、39,40編は草稿が残されていたため昭和になってから刊行された由)
 物語は紫式部の源氏物語をベースに、時代を室町時代に設定し、将軍足利義政の側室の子である”光氏”を主人公として、将軍の地位を狙う山名宗全を光氏が光源氏の好色的な遍歴をまねて宗全一派を滅ぼすといったストーリー。当時の人気作家であった曲亭馬琴の書いた「金毘羅船利生纜」「傾城水滸伝」が中国の古典小説「西遊記」「水滸伝」を題材としているのに対抗し、柳亭種彦は日本の古典文学である源氏物語を題材にしたといわれている。ただし偽紫田舎源氏は単なる源氏物語の翻訳本ではなく作者の創意工夫が随所にみられる。現代の道徳観念からはかけ離れているが、当時の社会通念、道義観念に従い、とくに平易で上品な文章は一般庶民のみならず高位の人にも愛読されたといわれる。
 しかしながら重農主義を旨として商業活動を規制し、奢侈を禁止し倹約を命じる水野の改革は好色風俗的な流行を忌み嫌い、歌舞伎3座を江戸郊外(浅草猿若町)へ移転させ、市川団十郎を江戸追放に処すなど厳しいものがあった。出版にも当然厳しい規制がなされた。寛政2年(1790)の寛政の改革時には浮世絵に一般女性の名前を記して描くことは禁止されたが、歌舞伎役者や遊女については規制されなかった。しかし天保13年の統制令ではそれらの人物を描くことも禁止され、絵草紙等の小説類についても登場人物を歌舞伎役者に似せて描くことを禁止し、また贅沢な風俗を描くことが禁止された。
 
 
 
 
 
 
 
 
薔薇舘のランチ、サフランご飯のおにぎりは初めてです。
カレーにはサフランご飯が付きます。
美味しく綺麗なのですがやたら時間がかかります。ケーキセットでも。
だからほとんど女性客ばかり。
 
 
 右上はバラのゼリーです。