riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">あふれる愛をついで</span>



今日は東京大空襲の日、小田実も言っていたがその後8月14日まで爆撃され日本は火の海だった。

東京大空襲や原爆投下の実行責任者として、これに深く関与したカーチス・ルメイ将軍。原爆投下の際、日本側に警戒態勢をとらせないため、B29の高々度の単機使用というのは彼の発案だった。ルメイは原爆投下から1964年、航空自衛隊育成の『功労』により、日本国天皇から勲一等旭日大綬章を受け、 1990年10月、83歳で長寿を全うした」東京を爆撃したルメイ将軍は後に日本政府から勲一等から勲章を授けられた。」

その前に侵略していた日本。無謀な戦争始め無残な結末を迎える1945年。


「あふれる愛」を継いで 米軍ジェット機が娘と孫を奪った

 1977年9月横浜市緑区(現青葉区)で米軍機が墜落、悲惨な事故で娘と孫二人を失い、闘い続けた土志田勇さんが1月、肺がんのため82歳で亡くなられた。

「あふれる愛」を継いで-米軍ジェット機が娘と孫を奪った</a>http://www.pen.co.jp/syoseki/syakai/0507.html

こちらのブログが詳しいhttp://ameblo.jp/warm-heart/entry-10068376803.html

拙ブログはhttp://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/18307691.htmlです。

mediajam「 土志田さんは、和枝さんの日記をもとにした著書「あふれる愛に」などを出版したほか、和枝さんと孫二人をモチーフにした「愛の母子像」を同市中区の港の見える丘公園に建立するなど、事故の記憶の継承に尽力。また、和枝さんの「元気になったら福祉の仕事がしたい」との遺志に応え、その名を冠した社会福祉法人「和枝福祉会」の設立・発展にも努めた。

 同会の丹野貞子理事長は弔辞で「愛にあふれた行動力は、わたしたちに勇気と感動を与え続けてくれた」とし、「和枝さんの思いをまっすぐに具体化してきた姿を継承したい」と述べた。

 また、発生から三十年を迎えた昨年九月、事故を題材に上演されたミュージカルに出演した県立高校一年の女子生徒二人がメッセージを朗読。事故を風化させまいと心を砕いた故人の思いに寄り添い、「わたしたちはいつまでも事故を語り継ぎます。空の上から、和枝さん、(孫の)ユウ君、ヤス君と一緒に見守ってください」と誓った。

 関係者によると、今春には同会の施設を活用した事故に関する資料館が完成する予定。「愛の母子像」のミニチュアも展示されるという。「資料館ができるまでは生きていてほしかった」。参列者から惜しむ声が聞かれる中、事故の資料収集をはじめ生前親交のあった斎藤真弘さん(66)は「大変残念だが、事故に関心を持つ多くの若者の成長を心強く感じながら旅立つことができたのでは」と思いやった。

横浜市緑区の米軍機墜落事故 1977年9月27日午後1時20分ごろ、米海軍厚木基地を飛び立ったファントム偵察機がエンジントラブルで、横浜市緑区(現青葉区)荏田町の住宅地に墜落、炎上。土志田裕一郎ちゃん=当時(3)=と康弘ちゃん=当時(1)=の幼児が事故後間もなく亡くなり、重傷を負った母和枝さんも事故から4年4カ月後に31歳で亡くなった。死傷者は計9人。偵察機の乗員2人は脱出して無事だった。」

もうすぐ海だったのだ。なぜ住宅街に!
自衛隊は米軍パイロットを救助し立ち去った!

軍隊は国民を守らない。ましてや米軍が日本を助けるわけない。利用されているだけだ。