riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">「サド侯爵夫人」 </span>



http://show.blogmura.com/

写真1枚目は 篠井英介の「サド侯爵夫人」
2枚目は若き日の玉三郎のサン・フォン伯爵夫人とサド侯爵夫人ルネ

アトリエ・ダンカンプロデュース 「サド侯爵夫人」
http://www.duncan.co.jp/web/stage/sade/
を全国公演の楽11月27日に鑑賞しました。
ルネ(サド侯爵夫人) 篠井英介
 シミアーヌ男爵夫人 石井正則
 アンヌ(ルネの妹)   小林高鹿
 シャルロット    山本芳樹(Studio Life)
 サン・フォン伯爵夫人 天宮良
 モントルイユ夫人 加納幸和


以前テレビで新妻聖子や他の主演者の「サド 侯爵夫人」を観賞したことがあるけれど生は初めて。花組芝居のライブも随分前の「隅田川」と「ロミオとジュリエット」だけで 篠井英介も在団中だった。

「隅田川」が大変面白くて次の「ロミオとジュリエット」観に行ったらお目当ての篠井さんは脇でガッカリ、間もなく退団された。

次の「」は東京初演ご覧になったぴかちゅうさんの記事の一部です。
http://blog.goo.ne.jp/pika1214/e/a18f32c77614b19e8276651ca95a1421

「今回の『サド侯爵夫人』は事件だ」のキャッチコピー通り、篠井英介加納幸和という現代劇の立女方の両雄が18年ぶりに共演する今回の公演は見逃せなかった。また「女方:篠井英介×演出:鈴木勝秀シリーズ」の第二弾ということだが、いわゆる鈴勝さん演出の舞台も…」

南美江のモントルイユ夫人はテレビで観たのですが印象的残っていると思ったら

パンフで橋本治さんが「新劇の芝居をしているけれど元宝塚の元男役だから、どこかで瞬間男役になるの。すごぉく上品なんだけれど、武家の奥さんが股開いて刀構えちゃうみたいな面が出て、次の瞬間ヒラっと『そんなの私は知らないわ』と…そういうクルクルした変わり方が鮮やかだった」

やっぱり男役、女形に魅かれるのはそれだけ複雑で普段周囲にはいない人物、芸術的だからですね。

新妻聖子のルネの舞台ではモントルイユ夫人やはり元宝塚の剣幸でした。


三島はまだ子供っぽい時に「豊穣の海」読んでいてこれで終わりみたいなことが書いてあって変だと思ったら、あのような自殺。思想的には到底共鳴できないけどこの「サド侯爵夫人」は日本の戯曲史上 ベストらしい。

橋本治の『「三島由紀夫」とはなにものだったか』のなかに「松本清張を拒絶する三島由紀夫というのがあるが納得。

この舞台、2回の休憩があるが台詞の洪水。衣装は豪華で装置はそれを引き立たせるためにかシンプルで篠井・加納は特に見事でした。

延々と過剰に装飾的な台詞だが結局はサド侯爵夫人ルネと俗物であるその母モントルイユ夫人の対決。そしてルネは三島…

橋本治の『「三島由紀夫」とはなにものだったか』は図書館にあったが澁澤龍彦氏の『サド侯爵の生涯』と原作(近くの古本屋にもなく)を図書館でリクエストした。遅ればせながら読みたい。

若き日の小川真由美のルネもよかったそうだが玉三郎も演じている。
観ていないのが残念至極。

以下は引用です。


三島さんといえば『サド公爵夫人』をベルイマンが舞台化した作品も良かった! 僕たちがやった舞台も良かったんですけれども(笑)。僕たちの『サド公爵夫人』は、日本人なりですが、衣装の時代考証をできる限りしたんです。ベルイマン版は、少し時代をずらしている。エリザベス王朝じゃなくて、その後ちょっとエリザベス王朝が崩れてクリノリーになる手前くらいに変えているんですね。エリザベス王朝にすると大変だし、うさん臭いからかな。いわゆるヨーロッパの人が、時代考証を何もかもその時ピッタリでやるのを恥ずかしがる、それでしょうね。そこで、上手くずらして動きに合わせてやっているんだな、と思いました。あれ、『午後の曳航』から脱線しちゃいましたね。 (玉三郎

三島
『いわばこれは「女性によるサド論」であるから、サド夫人を中心に各役が女だけで固められなければならぬ。サド夫人は貞淑を、夫人の母親モントルイユ夫人は法・社会・道徳を、シミアーヌ夫人は神を、サン・フォン夫人は肉欲を、サド夫人の妹アンヌは女の無邪気さと無節操を、召使シャルロットは民衆を代表して、これらが惑星の運行のように、交錯しつつ廻転してゆかねばならぬ。舞台の末梢的技巧は一切これを排し、セリフだけが舞台を支配し、イデエの衝突だけが劇を形づくり、情念はあくまで理性の着物を着て歩き廻らねばならぬ。・・・すべては、サド夫人をめぐる一つの精密な数学的体系でなければならぬ。・・・』


「三島戯曲の中にはすごい作品がある。 とくに『サド侯爵夫人』は、その完璧なまでに空虚な構造、噴飯物寸前のみごとな台詞修辞法によって、二十世紀の世界劇文学を代表するに足る一作である。」(井上ひさし