<span itemprop="headline">シンクロ「夜叉の舞」</span>
シンクロは大好きな競技です。
音楽とエンターテイメントの面がありますから。
音楽とエンターテイメントの面がありますから。
新体操やフィギュアも国に関係なく必ず観ます。
シンクロは大変激しいスポーツで食べても食べても痩せるそうです。
けなげに頑張る乙女達。
どなられ叱られ10時間もの練習、聞いただけで涙です。
どなられ叱られ10時間もの練習、聞いただけで涙です。
中でも奥野史子の「夜叉の舞」が忘れられません。
1994年世界選手権ローマ大会のソロ種目で、世界選手権ソロ史上初の芸術点オール満点を記録し、銀メダルを獲得。現在でも日本シンクロ界で語り継がれる伝説の演技となった。デュエットでも銀メダル、チームでも銅メダルを獲得。
動画を見つけました。うれしい♪
1994年世界選手権ローマ大会のソロ種目で、世界選手権ソロ史上初の芸術点オール満点を記録し、銀メダルを獲得。現在でも日本シンクロ界で語り継がれる伝説の演技となった。デュエットでも銀メダル、チームでも銅メダルを獲得。
動画を見つけました。うれしい♪
ただ日本のテレビカメラマンではないので…
私の頭に刻まれているあの怒り、悲しみの表情が映っていません。
笑顔のシンクロでなくに睨みつける様な強い表情、いいですね。
音楽もいいですね。
奥野さんインタビューも面白いです。
http://www.spopara.com/sp/cover/0102-okuno/02.html
音楽もいいですね。
奥野さんインタビューも面白いです。
http://www.spopara.com/sp/cover/0102-okuno/02.html
「知る楽」で井村コーチの話を聞いて思い出してよかった!
中国のコーチとなり中国チームを教えた、寝返ったとバッシングされて驚いたこと。
ただあの双子の選手を育てたかったそうです。
ただあの双子の選手を育てたかったそうです。
不思議なことに筋肉がなかった中国選手!
ランニングでは違う筋肉がついてしまうからこれは出来ない。
選手のやめ方が大事。
華でやめるのではなくなく納得して止め事が大事。
小学生の頃でしょうか、お母さんに入れ知恵され法事と偽りバレエやボリショイサーカス観た井村さん、先生もとがめなかった。
こういう体験って必要ですね。
学校からクラシック、歌舞伎やバレエ、四季の舞台に連れて行くことがありますがとてもいいことだと思います。
文化なくては生きる喜びは半減でしょう。
続きます。
以下は引用です。
1950年大阪市生まれ。シンクロナイズドスイミング・コーチ
天理大学卒。中学1年からシンクロを始め、68年と73年に日本選手権でチーム優勝。その後コーチとなり、78年から日本代表を指導。84年にオリンピック正式種目になってから6大会連続で日本にメダルをもたらした。85年に井村シンクロクラブを設立。余韻の残る演技を追求し、「夜叉」「空手」などジャパネスクでユニークな作品を世界に向けて提案。98年、世界のコーチが選ぶベストルーティン賞受賞。2008年の北京オリンピックでは中国代表チームを指導し、初の銅メダルをもたらした。
以下は引用です。
1950年大阪市生まれ。シンクロナイズドスイミング・コーチ
天理大学卒。中学1年からシンクロを始め、68年と73年に日本選手権でチーム優勝。その後コーチとなり、78年から日本代表を指導。84年にオリンピック正式種目になってから6大会連続で日本にメダルをもたらした。85年に井村シンクロクラブを設立。余韻の残る演技を追求し、「夜叉」「空手」などジャパネスクでユニークな作品を世界に向けて提案。98年、世界のコーチが選ぶベストルーティン賞受賞。2008年の北京オリンピックでは中国代表チームを指導し、初の銅メダルをもたらした。
シンクロを始めたのは中学1年生のとき。勧めたのは母。元々運動神経に自信がなく、コンプレックスの固まりだった井村さんは、周りの選手のうまさに圧倒される。しかし、「続ければなんとかなる」と決して練習をやめなかった。大学1年のとき、日本選手権でチーム優勝。ところが先輩がやめた途端、弱いチームになってしまった。自分の代で敗れた惨めさが気持ちに火を付けた。今度は、井村さん自身が新人選手と真剣に向き合い、技術を教えながら、日本選手権で再び頂点に立つことを目指した。