<span itemprop="headline">女性参政権運動のエメリン・パンクハーストとエミリー・ディヴィソン</span>
エメリン・パンクハースト(Emmeline Pankhurst, 1858年7月14日 - 1928年6月14日)は、イギリスの婦人参政権活動家。パンクハースト夫人として、第一次世界大戦以前の女性の選挙への参加に尽力したことで有名。
来歴[編集]
彼女は1858年に実業家のロバート・グールデンと情熱的な女性運動家ソフィア・クレーンの娘エメリン・グールデンとしてイングランドのマンチェスターで生まれた。彼女は15歳でパリのエコール・ノルマルに留学、1879年に帰国し、20歳で24歳年上の弁護士のリチャード・マースデン・パンクハーストと結婚、一男三女が生まれた。夫パンクハーストは婦人参政権運動の支持者で、1870年の婦人財産法案の起草者だった。1889年にエメリンはウーメンズ・フランチャイズ・リーグを設立した。パンクハーストは1898年に胃潰瘍で死去したが、エメリンの活動は続いた。
1903年に彼女はその過激な活動で有名になる婦人社会政治連合(Women's Social and Political Union, WSPU)を結成した。メンバーにはアニー・ケニー、婦人参政運動の「殉教者」エミリー・ディヴィッソン、エセル・スマイスが含まれた。エメリンの長女クリスタベル(1880-1958)と次女シルヴィア(1883-1960)も活動に加わり、二人は異なる方法で運動に貢献した。
パンクハースト夫人の活動は爆弾テロを含む過激なもので、数度の逮捕をともなった。彼女は10回のハンガー・ストライキを行った。彼女の過激なアプローチは、合法的な政治活動で婦人参政権の獲得を目指していた人々には支持されず、婦人社会政治連合は分裂した。彼女の自叙伝『My Own Story』は1914年に公表された。彼女はその目標、イギリスでの婦人参政権をほぼ達成して、1928年に死去した。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
国会議事堂の隣のヴィクトリア・タワー・ガーデンにあるエメリン・パンクハーストの像
映画「未来に花束にして」ではダービー競馬場での出来事がクライマックス。
ミュージカル「マイフェアレディ」では華やかなシーンでした。
エメリンとエミリーは実際の人物です。
エメリンは50年以上も闘った女性。
ヘレン・パンクハースト氏
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[映画.com ニュース] 1910年代のイギリスで参政権を求めた女性たちの戦いの日々を描く「未来を花束にして」に登場した、WSPU(女性社会政治同盟)のリーダーであるエメリン・パンクハーストのひ孫にあたるヘレン・パンクハースト氏が来日し12月1日、東京・杉並区の都立西高等学校で特別授業を行った。
映画は、メリル・ストリープがエメリン役を務めるほか、ヒロインに扮したキャリー・マリガン、ヘレナ・ボナム・カーター、ブレンダン・グリーソン、アンヌ=マリー・ダフ、ベン・ウィショーといったそうそうたるキャストが結集。洗濯工場で働く24歳のモード(マリガン)が、エメリンたちに感化されて参政権運動に身を投じていくさまがつづられる。
女性や子どもの貧困解決を支援するNGO団体“ケアインターナショナルUK”のキャンペーン・アンバサダーを務めるほか、家庭内暴力にさらされている女性を援助する“パンクハースト・センター”の設立者でもあるパンクハースト氏。本作の製作においては脚本協力のほか娘のローラ氏とカメオ出演もしている。
生徒約40人からは、映画で描かれた10年代の英社会の現状と現代日本を比較し、参政権や性差別といった観点から“男女平等な社会の在り方”について意見が相次いだ。パンクハースト氏は生徒たちの積極的な姿勢に目を細め、それぞれの意見に熱心に耳を傾けていた。「政治というのは声を上げている人のためのもの。私たちが考えなくてはならないのは、じゃあ声を上げている人は誰なのか。富裕層とある特定の階級の人になってしまったら、(政治が)その人たちの代表になってしまう。
劇中では、ポストを爆破し、店に投石するなど、なりふり構わずに声を上げる女性たちが登場し、投獄されても志をつらぬく気高い生きざまに焦点を当てている。生徒からは、モードたちの過激な行為に対して戸惑いの声も出たが、パンクハースト氏は「彼女たちはただ、政府にいつ参政権が求められるかを知りたかっただけ。最初からやりたかったわけではない」と理解を示し「我々が当たり前のものとして享受しているものを得るために、さまざまなもの、あるいは人生を犠牲にしてたくさんの女性たちが戦った」
と100年前に生きた女性たちに思いをはせた。
と100年前に生きた女性たちに思いをはせた。
「未来を花束にして」は、2017年1月27日から全国公開。
(映画.com速報)