豊橋ホッキョクグマ「チャッピー」24歳腎不全で死亡!
今日はトリミングがなぜか出来なくてすいません。
引用です。
ホッキョクグマの雄チャッピーが、昨日、死亡いたしました。チャッピーは、昨年10月から腎臓の機能不全となり、体調をくずしておりました。懸命の治療により、一時は体調が回復したのですが、5日前から、再び体調が悪化し、昨日、残念ながら、息をひきとりました。1994年6月に来園して以来、23年の間、皆様に愛され続けたチャッピーでした。本当にありがとうございました。
豊橋総合動植物公園 園長
豊橋総合動植物公園 園長
子供の貧困や双葉館の記事も載っています。
郷土の尊敬する作家城山三郎の書斎の復元もあります。
城山三郎展と貞奴←ステンドグラスが素敵です。
豊橋は生態展示の先がけ旭山の師匠と聞いて昨年会いに行きました。
↑チャッピーでしょうか。
旭山動物園長の記事
坂東園長:中世の時代、ヨーロッパの王侯貴族は戦争で他国に遠征していたんです。遠くの土地に行くと、見たことのない動物がいますよね。それを捕まえて凱旋(がいせん)。地元民に自慢するために飼い始めたのがルーツといわれています。この「収集する」という欲求は、人間の習性でもありますね。
柿次郎:ああ、宝石やフィギュアとか。人間のコレクション欲求は独特ですね。
坂東園長:戦利品みたいですよね。最初は個人のコレクションとして始まったんですが、次第に集めた野生動物を分類したり研究したりする「科学」の発想が生まれていきます。その後、現代に続く「動物園」が西洋で生まれたという。簡単に言えばそういう流れですね。
坂東園長:例えばタヌキは「なんで俺はパンダに生まれなかったのかな」なんて悩んで生きてないでしょう? 笑い話に聞こえるけど、ほとんどの人が潜在的に何かと比較して判断しちゃってると思うんです。
柿次郎:若い子が「なんでこんなふうに生まれたんだろう」と悩むみたいなことですね。
坂東園長:そうですね。いまの時代って、命に対する価値観が良くない方向に行っている。それをうちの動物園で少しでも変えていけたらと思っています。 例えば数年前にデング熱が流行したとき、媒介になる蚊が一斉に駆除されました。でも、蚊がいなくなったら小鳥が生きていけない……そんな事実を自然に連想できる大人が増えるといいですよね。
柿次郎:自然界の中で、命が循環していることをイメージできるということですか?
坂東園長:それもありますし、「他者の命」をもっと尊重すべきだと思います。動物や虫だけでなくで、他の人間の命も。他者の命を感じさせる場所が動物園であってほしいんですが……。安全を確保した環境かつ、人間が都合良く動物を見る仕組みなのでなかなか難しいですね。
柿次郎:坂東園長が連載しているコラムでも「命のつまみ食い」と書かれてましたね。
人工保育はテレビ番組ではお涙ちょうだい的な扱いで紹介されることが多いのですが、ペアリングから出産に至るプロセス、出産・育児のための環境整備など、どこか根本的な飼育の失敗を意味する一面があることを忘れてはいけません。
初代も2代目のペアも交尾ができませんでした。メスに発情は来るのですが、お互いに特にオスがどのようにメスにアプローチしていいのかが分からないのです。
ネコ科動物の発情、交尾はかなり荒々しくて、発情をむかえたメスは興奮してオスにすり寄ったかと思うと突然爪を立てたりといった攻撃的な行動を見せます。オスはそれにひるまずメスの首筋を噛み押さえ込むように交尾をします。
人工保育のオスは、メスの攻撃的な愛の表現をただ攻撃としか受け取れずに、「ごめんなさい」と退散してしまいます。むしろメスが発情をむかえるとできるだけ距離をとりたがるようにさえなってしまいます
つまりオスはハーレムのメスを獲得するために他の群れのオスとも戦いハーレム内の若いオスとも戦い、時には群れを追い出され死んでいるのです。ハーレムを持つオスの権力は絶大なのですが、一方でメスに無視をされると一瞬で存在の意味をなくし、無気力になり生きる場をなくしてしまうこともあります。
ほ乳類の場合オスの方が立派な体格をしていて、メスに対して威張っているように見えますが、実はオスははかない命なのです。オスはたくさんいても次代につなげません。「生めるメス」に実は支配されているのかもしれません。
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さて近年、多くの学校が「命の大切さ」を伝えたいと動物園を訪れます。「ペットの殺処分ゼロを目指して」との活動やポスターを目にすることも増えました。「また尊い命が」といった切り口で、ペットの過密飼育や虐待を扱ったニュースも目にします。とにかく殺さないことが基本で、死を否定的にとらえることになります。
一方、野生動物の問題ではイノシシやシカなどをいかにして効率よく駆除、つまり殺処分するかについての特集番組やニュースを目にします。子どもを産むメスをいかにして効率的に駆除するか……。
このようなニュースを子どもが見てどのように感じ育つのだろう? ふと心配になります。人にとって大切な生きものの命は徹底的に大切にする。人にとって問題となる野生動物(外来種も含む)は効率よく処分する。大切なものは守り、不都合なものはいなくなってもいい。そんなメッセージになりかねません。人同士の戦争のニュースや、身近で起きている殺人や自殺の問題など、様々な情報に無垢(むく)なままさらされて育つこと、教育の中で学ぶ命の大切さと現実の中での命の扱われ方、報道のされ方の違い……。
あるいはペット(一般的な言い方を使います)の飼い方。動物愛護センターなどでは盛んに不幸な命を生まないため、幸せな一生を送らせるためにと避妊、去勢を推奨しています。命とは生まれ、死ぬものです。だから命をつなぎます。今この瞬間に生きている命は、何千万年も1度も途切れなかったから今、生きているのです。
飼い主(消費者)に渡ったイヌ、ネコは避妊去勢され、伴侶とはいいますが、極端な言い方をすれば「利用して使い捨て」との見方もできます。なぜこんな言い方をするかというと、飼育動物を繁殖もさせずに展示し、死んだら購入し続けてきた動物園の歴史への反省があります。
「命は大切」は当たり前ですが、その死を大切にすることはもっと大切だと思います。なぜなら、命は必ず死ぬからです。死に蓋をして、生きていることだけ見続けても、大切さは見えてきません。ところが近年、獣医大学でも解剖実習などの際、学生に生物の安楽死をさせず、安楽死したものを教員が学生に提供するようになりました。「治すために学んでいるのだから、殺すことはしたくない」。医学を学ぶ者は、死を客観的にとらえられなければいけません。獣医師が強制的に命を奪わなければいけない実験動物や畜産動物はもとより、街中の動物病院が扱うペットでさえ、安楽死を選択せざるを得ない場合があります。自らが動物の命を絶つことから受ける感覚や、奪った命に対する責任を考えることは、獣医学を学ぶ上で根底になければいけない、とても大切な過程だと思うのです。
柿次郎:命に対する価値観、ですか。
坂東園長:例えばタヌキは「なんで俺はパンダに生まれなかったのかな」なんて悩んで生きてないでしょう? 笑い話に聞こえるけど、ほとんどの人が潜在的に何かと比較して判断しちゃってると思うんです。
柿次郎:若い子が「なんでこんなふうに生まれたんだろう」と悩むみたいなことですね。
坂東園長:そうですね。いまの時代って、命に対する価値観が良くない方向に行っている。それをうちの動物園で少しでも変えていけたらと思っています。 例えば数年前にデング熱が流行したとき、媒介になる蚊が一斉に駆除されました。でも、蚊がいなくなったら小鳥が生きていけない……そんな事実を自然に連想できる大人が増えるといいですよね。
柿次郎:自然界の中で、命が循環していることをイメージできるということですか?
坂東園長:それもありますし、「他者の命」をもっと尊重すべきだと思います。動物や虫だけでなくで、他の人間の命も。他者の命を感じさせる場所が動物園であってほしいんですが……。安全を確保した環境かつ、人間が都合良く動物を見る仕組みなのでなかなか難しいですね。
柿次郎:坂東園長が連載しているコラムでも「命のつまみ食い」と書かれてましたね。
動物園が自然環境、野生動物を知る玄関口の機能を持とうとすると根本的な矛盾に直面することとなります。たとえどのように展示しようとも、個あるいは小単位での群れを切り取り種にスポットを当て、命を奪い食べることを再現できない中では、それはあくまで観る側にとって都合のいいつまみ食いの擬似空間にしかなりえないのかもしれません。ヒトと動物が共存する未来を目指すには(NIKKEI STYLE)より引用