riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

タンザニアと東山のカバのお話

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上はタンザニアでの写真。ひしめくようにいました。
 
カバは飼育員さんのトークの時に行きたいです、なかなかお口あけている写真が撮れません。
 
東山動物園では希少なサイも1頭、
カバは仲良しペアがいるのにもう増やせないといって悲しいことに離してあります。
 
東山のプール、狭くないから2頭で泳いでる所見たい
 
ひろ様の切ないカバペアの素晴らしい写真をどうぞ
 
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重吉君、プールから上がります。
この日は水替えしてきれいな水でした。
 
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カバは皮膚が弱いので日中は水の中にいます。
 
 
置いてある草を食べにプールから上がります。
 
カバは本当は怖い猛獣なのに1頭ではそんなの感じられませんね。
 
 
 
 
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このカバ像、ひろ様の記事見るまで気が付きませんでした
 
カエルまでついてる
 
 
 
 
草はちょっと残して又プールへ戻りました。 

 

情熱大陸尾畠春夫氏

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お母様に11歳で死別された尾畠さんのこの笑顔
 
他のボランティアの3時間も前から現場に行き被災地で身を粉にして働く。
 
1円玉もお札もその家の被災者に必ず渡す。
 
お礼は受け取らない。
 
講演の依頼は殺到するが被災地で忙しいと1000万積まれてもやらない。
頂いた広島名物のお好み焼きに「上手い」と感嘆されて思わず涙される
 
「こんなに優しくしてもらったらどうしていいかわからない」
 
こちらも泣けてきます。
 
お宅にも差し入れが…
 
恩返ししたいと
 
新聞を読む傍らに使い込んだ辞書
 
小学生で母と死別されたから。お母様に甘えることが出来なかった。
「おふくろから頭をなでてほしい、思い切り抱きしめてもらいたい」アバラ骨が折れるまで抱きしめてもらいたい」と思うと。
 
 
 
 
奉公に出され中学もなかなか通えなかった。
 
鮮魚店をたたんで、登山に凝り登山道を整備したのがボランティアの始まり。
 
この尾畠さんを見る女性アナの目と
冷酷・極悪・自己中のあれを見る女性アナの天と地の差、
当然ですね。
 
女性でも子供をつくれない人は生産性がないと言う女性国会議員がいるけどそれならあれはどうなの?子供いませんが。
 
 
 
誰かとは大違いのこの可愛い似顔絵
 
 
女性は卑劣な大うそつきは大嫌いです。
ここがあれの弱点だと聞きました。
 
被災地の泥の中の衣類を取りだし洗って干して、誰かの目につくようにする。
 
これが、妻の、母の、と分かるように。
 
レトルトご飯とインスタントラーメン、焼き肉のたれを鍋に入れたおじや、コンビニのおにぎり、猫におはようと言っておにぎりの一部をあげる。
 
この食生活で来月は79歳になる、脱帽です。
 
無料温泉でやっとくつろぐ尾畠さん、
 
情熱大陸は30日22時59分まで配信されています。
 
 
尾畠春夫が現場に入ると、周りの空気が変わるという
天応地区には、氾濫し流れ込んだ土砂が今なお残ったままの家屋も多いが、率先して床下へもぐり込み、ヘドロとなった土砂を泥まみれになって次々とかき出す。
また、被災者に寄り添うようにして声をかけ要望を聞き出し、仲間たちに作戦を指示する。
時には、経験が浅く動きが硬いボランティアを得意の冗談で和ませる。
さらに毎朝午前9時に始まる一般のボランティア活動の前にも独自の活動を続けていた。
早朝午前6時、たったひとりで向かった現場とは?
 
ボランティア仲間のひとりはそんな尾畠を「」のようだといい、取材した被災者も「尾畠がいると、現場が活気づく」とその独特の存在感に驚きを隠せない。
 
大分県の地元では人気店だった魚屋を65歳で畳んだ尾畠。
世の中に恩返しをしたいと今はボランティアにのみ専念する。活動資金は年金収入だけ。お礼は一切受け取らず、節約を心がけ車中泊をしながら全国の被災地を回っている。2011年の東日本大震災の際は、三陸で500日もわたって活動したという。
番組では被災地での活動に加えて、大分県の自宅も取材。束の間の休息日、バイクで30分走り、無料の露天風呂で疲れを落とす。そんな尾畠のもとには来客が絶えず、中には人生相談をしに訪れる人もいるという。身長161センチ、小柄な体からは絶えず前向きなエネルギーを発し続ける78歳は、一体なぜここまでボランティアに打ち込めるのか? 原動力は何なのか? 密着を続ける中で、「これまで他の取材では話したことがない」という長年、秘めたある思いを口にし始めたという。

尾畠春夫(おばた・はるお)のプロフィール

ルナとサンが衝撃的な激突?じゃれあいか。

ログインできなくなっていてお休みしていました。

 

 
 
おっとりした息子のソラちゃん、立派になりましたね。
 
今日はシャバ―二の新・屋外デビューを見学に行ったのですが
ルナとサンのとんでもない激突を目撃しました
 
ラーテルのペアも喧嘩して大声上げていましたが
これは猛獣なので凄い衝撃でした。
 
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そろそろ親たちと交替の時間、父子で見つめ合います。
もう父子の感覚はないのでしょうね。
ソラちゃんは甲状腺の病気で食べてもやせます、24時間マラソン状態なのです。
私もそうでしたが一時37キロでした。
でもサンも痩せている、餌を減らされてる情報もあります。
 
 
 
今日は飼育員さんが左から出て放飼場を点検されてました。
木を保護している線が気になったのか。
 
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ルナがへこんだボールを持って出てきました、
ボールを部屋にお持ち帰りされる話は聞いていますが私はこんな行動初めて観ました。
ワオチュウブからの撮影で下手ですいません。
 
 
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ボールが転がって、気にするルナ、
自分でボールを堀に落としてもサンに八つ当たりすることもあるそうです。
 
 
サンがルナのご機嫌を伺います
ルナに続いて出されたサンにルナが飛び付きます
 
これもじゃれあいなのね
 
 
下手に出る優しいサン
 
手痛いキスいくらルナが活発で暴れん坊将軍と異名取っても凄すぎ
大きな音と唸り声が響きました。遊んでるのかな。
 
 
 
 
今日は尻尾咬むどころではありません。
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ソラの前で
 
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父母でソラを見ているのかな。
 
ふっとぶサン、wwwあばら骨が見えます。
 
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 まだ飛びかかりますwww
何かあるのでしょうか、息子の前で、
 
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アー、
 
 
 
大きく口あけています~
 
 
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サンは紳士的に我慢してます。
 
 
ルナ、遊び疲れた
 
 
 
しばらくたって又ライオン舎にいくと、ボールを前にして猫のように寝ているルナ。
ルナは色白のせいなのか、子供のような柄が残っています。
黒猫でも下には縞が有るのだそうです。
 
ルナの肉球、いつも見ても可愛い
 
富士サファリ生まれで昔の名前がフリル

 

必見1987、ある闘いの真実

1ヵ月半ぶりの映画館、チケット買うのに長蛇の列、満員でした これほど話題になっているとは。 これも日本人にはタイムリーな映画「タクシー運転手 約束は海を超えて」 「光州 5.18」(華麗なる休暇) 上の2本の映画も満員だったり、拍手が起きた韓国映画でした。 光州事件関係の映画は何本もあったのに。 日本がバブルで浮かれているうちに韓国は多大な犠牲を払い民主化を勝ち取り、日本は反対にこの極悪世界へ沈んでいます。 公安等も日本語で出てくるので、日本の事として考えられます。 何回も泣けます。隣の男性も泣いてました。 権力はいつも腐敗し卑劣です。 極悪権力と闘った人々はは拷問にかけられても耐えるのですが家族を殺す等言われると… 闘わないと民主主義、人権、平和も手にできない。 非常に困難な状況の中闘われた韓国の人々、映画作られた方尊敬します。 イメージ 1 「ファイ 悪魔に育てられた少年」のチャン・ジュナン監督が、韓国民主化闘争の実話を描いた社会派ドラマ。1987年1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。南営洞警察のパク所長は北分子を徹底的に排除するべく、取り調べを日ごとに激化させていた。そんな中、行き過ぎた取り調べによってソウル大学の学生が死亡してしまう。警察は隠蔽のため遺体の火葬を申請するが、違和感を抱いたチェ検事は検死解剖を命じ、拷問致死だったことが判明。さらに、政府が取り調べ担当刑事2人の逮捕だけで事件を終わらせようとしていることに気づいた新聞記者や刑務所看守らは、真実を公表するべく奔走する。また、殺された大学生の仲間たちも立ち上がり、事態は韓国全土を巻き込む民主化闘争へと展開していく。パク所長を「チェイサー」のキム・ユンソク、チェ検事を「お嬢さん」のハ・ジョンウ、学生デモに立ち上がる大学生を「華麗なるリベンジ」のカン・ドンウォンと豪華キャストが共演した。← スタッフ 監督チャン・ジュナン 撮影キム・ウヒョン編集ヤン・ジンモ音楽キム・テソン キャスト •キム・ユンソクパク所長 •ハ・ジョンウチェ検事 •ユ・ヘジンハン・ビョンヨン •キム・テリヨニ •ソル・ギョングキム・ジョンナム キム・ユンソクは88年、舞台「欲望という名の電車」で俳優デビュー。以降、ミュージカル「地下鉄1号線」(この作品テレビ鑑賞して感心しました図書館に脚本買ってもらいました)などに出演し演劇界で活躍。 ハ・ジョンウはキム・ギドク監督の「絶対の愛」(06)で観た俳優 ユへジンは「タクシー運転手」にも出ていた憎めない顔の俳優 ソル・ギョングは「オアシス」(障碍者との愛)「力道山」「シルミド」で観てファンです。 俳優カン・ドンウォンが映画「1987、ある闘いの真実」の舞台挨拶途中に涙を見せた。 カン・ドンウォンは7日、ソウル龍山(ヨンサン)CGVで行われた「1987、ある闘いの真実」の舞台挨拶に出席した。この日は文在寅(ムン・ジェイン)大統領とキム・ジョンスク夫人がチャン・ジュンファン監督、キム・ユンソク、カン・ドンウォンとともに映画を観覧した。 観覧直後、舞台に上がったカン・ドンウォンは後ろ向いて涙を拭いた。続いて彼は「この映画を準備しながら、今こんなによく生きていられるから『借りが大きいな』と思った。このような借りを少しでも返す気持ちで参加しました」とし、「今も心が痛いです。熱心に、これからもいい映画を作りながら報います」と話した。 その後、舞台上で突然涙を見せたカン・ドンウォンの映像がSNS上で広がり、話題になっている。← 監督インタビュー --1987年、監督は高校生でした。その当時の記憶や民主化闘争に対してどのようなイメージを抱いていましたか? 「私は当時、全州に住む平凡な高校3年生でした。自分の住む地域でもデモは多く行われていて、登下校の際にデモをする姿を良く目撃していました。また授業中に催涙弾の匂いのために窓を閉めきって授業していたことも覚えています。忘れられないエピソードがあります。ある日、友人に“学校の近所にあるカトリックの聖堂で不思議なビデオを見せてくれるらしいから一緒に行こう”と誘われました。好奇心旺盛だった私は友人と一緒にそれを見に行きました。その時に見たのが、「タクシー運転手~」に登場するドイツ人記者、ユルゲン・ヒンツペーターが撮影した光州事件の映像でした。劇中、カン・ドンウォンに誘われてヨニたちが見た映像です。それを見た時、とても恐ろしかった。韓国でこのようなことが起きたということが信じられませんでした。そして、その事実を大人達が誰一人として語ろうとしないことが私にとってはもっと衝撃でした」 「また高校時代のある日、道徳の時間に日頃はやらない討論を行いました。デモが悪いことだという方向に導く内容の討論でした。私は恥ずかしがり屋の学生でしたが、“大学生がデモをするのには理由があるのではないか”と質問しました。すると先生が私を睨みつけたんです。あの目は、今でも忘れられません。この時に「1987」の芽が芽生えていたのかもしれません」 --この映画を作ろうと思ったきっかけを教えてください。 「1980年の光州事件については映画、小説、論文などで取り上げられています。しかし、1980年の悲しみと怒りが凝縮され爆発して起きた1987年については語られていません。私はそのことにすごくもどかしさを感じていました。独裁政権から大統領直接選挙を勝ち取った歴史的にも重要な時期について、何故、誰も語らないのかと思いました。 また、自分も子供を育てる親となり、次の世代にどのような世の中を残すべきか、何を語るべきかについて考えるようになりました。1987年を振り返り歴史の鏡とすることができるのなら、次世代への大きなプレゼントになると思ったのです」 --本作には韓国を代表する俳優たちが多く出演しています。キャスティングについてお聞かせください。 「カン・ドンウォンさんとは、前作での共演以降、時折会ってお酒を飲む間柄です。この作品の話をしたら、シナリオができたら見せて欲しいと言われました。「格好良い男子学生」という役柄を注視しながら読んで欲しいと伝えながら、出来上がったキャスティング稿を渡しました。小さな役なので引き受けてくれるとは思わなかったですが、「必ず作るべき重要な映画だ。迷惑でなければ出演させて欲しい」と言ってくれました。お陰で、苦しい時期でしたが力強くスタートを切ることができました。ありがたい俳優・後輩です」(小さな役ではありません) 「キム・ユンソクさんは以前ご一緒した「ファイ~」でも悪役だったので、また悪役かと冗談ぽく不満を述べていました。ですが、このキャラクターの重要性について共感してくださり、引き受けてくれました。(舞台俳優は悪役上手い)実際に生きている実在の人物を作るためにはどうすべきか、とても悩みました。平坦な2Dの人物でなく、3Dの立体的な人物を作るよう努力しました。外見も似せるため、キム・ユンソクさんは顎下にマウスピースを入れたり、体を大きく見せるためにパッドも入れたりしました。脱北者から平安道地方の方言も習いました。この2人は、初期の段階でキャスティングが決まりました」 「キム・テリさんは、「お嬢さん」という映画を観た時、新人なのに演技が上手で驚きました。ヨニはテリさんのような姿、性格ではないかと思ったんです。実際に会ってみたら、ヨニにピッタリだと思いました。複雑で難しい演技を上手く演じてくれました。キャスティング稿が出来上がった頃に崔順実ゲートが明るみになりました。しかし、この政権が今後も続くか否かがまだ不透明な時期。それにも関わらず、多くの俳優さんが勇気を出して映画に参加してくれて本当に感謝しています」 --日本の観客へ向けてメッセージをお願いいたします。 「この映画は1987年に韓国で実際に起きた政治的な物語を描いていますが人間ならば誰しも感じられる「我々が社会的な共同体となり生きて行く美しさ」について語っている映画です。歴史や文化は違うかもしれませんが、日本の観客の皆さんにも1987年に韓国で起きたこの奇跡のような物語が心の奥深くに届いたら嬉しいです」 (映画.com速報)

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1ヵ月半ぶりの映画館、チケット買うのに長蛇の列、満員でした
これほど話題になっているとは。
 
 
 
上の2本の映画も満員だったり、拍手が起きた韓国映画でした。
 
光州事件関係の映画は何本もあったのに。
 
日本がバブルで浮かれているうちに韓国は多大な犠牲を払い民主化を勝ち取り、日本は反対にこの極悪世界へ沈んでいます。
 
公安等も日本語で出てくるので、日本の事として考えられます。
 
何回も泣けます。隣の男性も泣いてました。
 
権力はいつも腐敗し卑劣です。
 
極悪権力と闘った人々はは拷問にかけられても耐えるのですが家族を殺す等言われると…
 
闘わないと民主主義、人権、平和も手にできない。
 
非常に困難な状況の中闘われた韓国の人々、映画作られた方尊敬します。
 
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「ファイ 悪魔に育てられた少年」のチャン・ジュナン監督が、韓国民主化闘争の実話を描いた社会派ドラマ。1987年1月、全斗煥大統領による軍事政権下の韓国。南営洞警察のパク所長は北分子を徹底的に排除するべく、取り調べを日ごとに激化させていた。そんな中、行き過ぎた取り調べによってソウル大学の学生が死亡してしまう。警察は隠蔽のため遺体の火葬を申請するが、違和感を抱いたチェ検事は検死解剖を命じ、拷問致死だったことが判明。さらに、政府が取り調べ担当刑事2人の逮捕だけで事件を終わらせようとしていることに気づいた新聞記者や刑務所看守らは、真実を公表するべく奔走する。また、殺された大学生の仲間たちも立ち上がり、事態は韓国全土を巻き込む民主化闘争へと展開していく。パク所長を「チェイサー」のキム・ユンソク、チェ検事を「お嬢さん」のハ・ジョンウ、学生デモに立ち上がる大学生を「華麗なるリベンジ」のカン・ドンウォンと豪華キャストが共演した。
 

スタッフ

監督
チャン・ジュナン
撮影
キム・ウヒョン
編集
ヤン・ジンモ
音楽
キム・テソン
 
キム・ユンソクは88年、舞台「欲望という名の電車」で俳優デビュー。以降、ミュージカル「地下鉄1号線」(この作品テレビ鑑賞して感心しました図書館に脚本買ってもらいました)などに出演し演劇界で活躍。
 
ハ・ジョンウはキム・ギドク監督の「絶対の愛」(06)で観た俳優
 
ユへジンは「タクシー運転手」にも出ていた憎めない顔の俳優
 
 
ソル・ギョングは「オアシス」障碍者との愛)「力道山」「シルミド」で観てファンです。
 
俳優カン・ドンウォンが映画「1987、ある闘いの真実」の舞台挨拶途中に涙を見せた。

カン・ドンウォンは7日、ソウル龍山(ヨンサン)CGVで行われた「1987、ある闘いの真実」の舞台挨拶に出席した。この日は文在寅(ムン・ジェイン)大統領とキム・ジョンスク夫人がチャン・ジュンファン監督、キム・ユンソク、カン・ドンウォンとともに映画を観覧した。

観覧直後、舞台に上がったカン・ドンウォンは後ろ向いて涙を拭いた。続いて彼は「この映画を準備しながら、今こんなによく生きていられるから『借りが大きいな』と思った。このような借りを少しでも返す気持ちで参加しました」とし、「今も心が痛いです。熱心に、これからもいい映画を作りながら報います」と話した。

その後、舞台上で突然涙を見せたカン・ドンウォンの映像がSNS上で広がり、話題になっている。
 
 
監督インタビュー
 
--1987年、監督は高校生でした。その当時の記憶や民主化闘争に対してどのようなイメージを抱いていましたか?
「私は当時、全州に住む平凡な高校3年生でした。自分の住む地域でもデモは多く行われていて、登下校の際にデモをする姿を良く目撃していました。また授業中に催涙弾の匂いのために窓を閉めきって授業していたことも覚えています。忘れられないエピソードがあります。ある日、友人に“学校の近所にあるカトリックの聖堂で不思議なビデオを見せてくれるらしいから一緒に行こう”と誘われました。好奇心旺盛だった私は友人と一緒にそれを見に行きました。その時に見たのが、「タクシー運転手~」に登場するドイツ人記者、ユルゲン・ヒンツペーターが撮影した光州事件の映像でした。劇中、カン・ドンウォンに誘われてヨニたちが見た映像です。それを見た時、とても恐ろしかった。韓国でこのようなことが起きたということが信じられませんでした。そして、その事実を大人達が誰一人として語ろうとしないことが私にとってはもっと衝撃でした」
「また高校時代のある日、道徳の時間に日頃はやらない討論を行いました。デモが悪いことだという方向に導く内容の討論でした。私は恥ずかしがり屋の学生でしたが、“大学生がデモをするのには理由があるのではないか”と質問しました。すると先生が私を睨みつけたんです。あの目は、今でも忘れられません。この時に「1987」の芽が芽生えていたのかもしれません」
--この映画を作ろうと思ったきっかけを教えてください。
「1980年の光州事件については映画、小説、論文などで取り上げられています。しかし、1980年の悲しみと怒りが凝縮され爆発して起きた1987年については語られていません。私はそのことにすごくもどかしさを感じていました。独裁政権から大統領直接選挙を勝ち取った歴史的にも重要な時期について、何故、誰も語らないのかと思いました。
また、自分も子供を育てる親となり、次の世代にどのような世の中を残すべきか、何を語るべきかについて考えるようになりました。1987年を振り返り歴史の鏡とすることができるのなら、次世代への大きなプレゼントになると思ったのです」
--本作には韓国を代表する俳優たちが多く出演しています。キャスティングについてお聞かせください。
カン・ドンウォンさんとは、前作での共演以降、時折会ってお酒を飲む間柄です。この作品の話をしたら、シナリオができたら見せて欲しいと言われました。「格好良い男子学生」という役柄を注視しながら読んで欲しいと伝えながら、出来上がったキャスティング稿を渡しました。小さな役なので引き受けてくれるとは思わなかったですが、「必ず作るべき重要な映画だ。迷惑でなければ出演させて欲しい」と言ってくれました。お陰で、苦しい時期でしたが力強くスタートを切ることができました。ありがたい俳優・後輩です」(小さな役ではありません
キム・ユンソクさんは以前ご一緒した「ファイ~」でも悪役だったので、また悪役かと冗談ぽく不満を述べていました。ですが、このキャラクターの重要性について共感してくださり、引き受けてくれました。(舞台俳優は悪役上手い)実際に生きている実在の人物を作るためにはどうすべきか、とても悩みました。平坦な2Dの人物でなく、3Dの立体的な人物を作るよう努力しました。外見も似せるため、キム・ユンソクさんは顎下にマウスピースを入れたり、体を大きく見せるためにパッドも入れたりしました。脱北者から平安道地方の方言も習いました。この2人は、初期の段階でキャスティングが決まりました」
キム・テリさんは、「お嬢さん」という映画を観た時、新人なのに演技が上手で驚きました。ヨニはテリさんのような姿、性格ではないかと思ったんです。実際に会ってみたら、ヨニにピッタリだと思いました。複雑で難しい演技を上手く演じてくれました。キャスティング稿が出来上がった頃に崔順実ゲートが明るみになりました。しかし、この政権が今後も続くか否かがまだ不透明な時期。それにも関わらず、多くの俳優さんが勇気を出して映画に参加してくれて本当に感謝しています」
--日本の観客へ向けてメッセージをお願いいたします。
「この映画は1987年に韓国で実際に起きた政治的な物語を描いていますが人間ならば誰しも感じられる「我々が社会的な共同体となり生きて行く美しさ」について語っている映画です。歴史や文化は違うかもしれませんが、日本の観客の皆さんにも1987年に韓国で起きたこの奇跡のような物語が心の奥深くに届いたら嬉しいです」
(映画.com速報)

 

海たび 名古屋市博物館

 
今日テレビ「遠くに行きたい」でも知多半島の半田等の紹介が有りました。
 
子供の時知多半島内海で毎日海水浴しました。
祖父母の家から
その後友人たちを常滑、半田、内海、日間賀島等巡りました。
 
 
 
 
古い地図や魚業の道具の展示が多い。
 
 
 
今では昔ほど海水浴の人気はないようです、
塩や砂が熱く嫌とか、
 
私の子供の頃は夏は広い砂浜が人で埋まっていました。
当時は砂浜はどこでも白く綺麗な細かい砂と
思いこんでました。
電車も道路も超満員
 
江戸時代には塩湯治といって病気療養のために
海に浸りました。
 
魚業も盛んで魚や貝、たこを取る道具も展示。
 
写真にはないけど展示の古いゴム草履が懐かしい。
海水浴に付き合ってくれた祖父や父を思い出します。
海でかき氷も食べました。
 
古代の尾張氏、断夫山古墳、佐久島三重県の古墳も紹介。
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ヤマトタケルとミヤズヒメのロマンを今に伝える史跡です。
 
 


 

嘘に支配される日本、中野晃一×福島瑞穂×大内裕和

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ここまで庶民に愛がない総理も前代未聞、自分と自分をよいしょしてくれる人だけにしか眼中になく、反対すれば「こんな人たちと」
 
国政を私物化する安倍政権の
<独裁政治>を3人の講師が徹底批判!
 
  中野晃一さん  上智大学教授
  
 
  大内裕和さん  中京大学教授
 
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西さん主催の講演会に行ってきました。
 
一瞬、衆議院議員近藤昭一さんも来ました。
 
皆さんお話は分かりやすく的確です。
 
 
一度総理の職を投げ出して失意の安倍が
米国、カート・キャンベルの前で正体もなく酔っ払ってキャンベルを驚愕させた安倍、
政治家としてこれだけでも失格ではありませんか。
 
オバマには村山談話河野談話を守れと言われ、
怨念渦巻く安倍。
 
中野氏 どうしてこんな嘘ばかりの政治が続くのか。
 
恥も外聞もなく嘘をつき続ける安倍が5年も総理、
さらに
 
もうこれ以上我慢できません。滅亡です。
 
 
 
大蔵大臣も務めたことのない安倍がなぜ総理に
 
今の若い人は安倍しか知らないから、
 
民主は悪いと刷り込こまれている。
 
昔を知っている中高年はここまで自民は悪くなかったことを知っている。
 
大事な沖縄選挙、憤死された翁長さん、
 
憲法改悪、安倍の母、岸の娘がマインドコントロール
 
こんな悪どい、個人的な恨み辛身で国民を苦しめる。
 
 
 
福島氏 今の日本はDV国家
 
支配と服従しかない政府
 
これでは政治と言えません。
 
圧力だけでは国際社会に通用しない、外交にならない戦争になる。
 
危なくてしょうもない安倍の外交
 
安倍の苦手なものは女性、国際社会。
 
自信がないからよいしょしてくれる人たちしか周囲に置かない。
 
警察官僚と原発は結びついている。
杉田 和博は東電へ天下り
 
 
背筋も凍る「警察官僚」600人の正体──安倍政権を護る「権力と情報の盾」
次々にスキャンダルが噴出しながら、安倍政権の支持率はなぜか急落しない。倒れそうで倒れない。それを支えているのは誰か──。本書『特権キャリア警察官』は、警察庁のわずか600名のキャリア官僚=警察官僚が、その情報力と実行部隊によって安倍政権の「最重要官庁」となっている実態を明かす。
著者の時任氏はあるとき、旧知の警視庁捜査二課刑事からNHK会長M氏についての情報提供を求められた。時任氏は警察取材歴が長く、この刑事と定期的に情報交換する関係を築いていたが、二課の刑事がなぜそんな情報収集をしているのか、不審に思ったという。時任氏が尋ねると、刑事はさる警察庁大幹部の名前を挙げた。
「偉い筋からの特命ですから。これはやりますよ」
警察庁幹部からの「特命」だと明かしたのだ。
 
福島氏
北海道胆振へ行ったけど国会は閉会、
地震や台風に災害に補正予算組むべきなのに。
 
モリカケ言われるのが嫌な安倍
 
めちゃめちゃ高い兵器は米国から買わされるのに
庶民のためには税金使いたくない。自分の金でもないくせに。
 
新自由主義高プロ、博打解禁法(シンガポールのカジノでは漢字で賭場と書いてある
 
愛知県知事はこれをやりたいのか、
 
許せません。やくざか
 
水道民営化、サマータイム、ヨーロッパはこれを元に戻してるのに、日本は10周遅れでやると
 

労働時間の規制はない

休憩もない

残業代はもちろんない

休日は?

 
全てが無茶苦茶、権利などない、安部の憲法憲法と言えない教育勅語
 
権力の私物化、社会の分断に対しどう闘うのか、
 
選挙に行かない人が投票すれば変わる、
 
このままではもうからないよ、
原発も危険極まりないよ、
労働者の権利は皆無、それでいいのですか。
 
 
 
 
 
 

 

キリンの赤ちゃん、死亡・ライオン別居・恐竜・ジャガー・ユキヒョウなど

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大あくびするユキヒョウのユキチ、
リアンには会えませんでした、
レフ、ハニーも遠い窓に
昨日はアシカの喧嘩、小人カバの潜水、など観ることが出来ました。
ライオンペアのサンとルナはまだ別居していて残念。
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アスカさんが気になる葉っぱ
 
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アスカさんは暑くても出てきてくれます、皆勤賞
 
 
 サーバルのムサシ
 
 
 
タイヤを枕に、エゾヒグマ
 
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ルナさん、サンにちょっかい出せなくて寂しい
 
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ルナが収容されてサンが出てきました。
 
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ルナと咆哮しあいます。
 
 
出てくると猫みたいに草をはみます。
 
 
口の中に葉が一杯、やはりこういうとんがる草を
 
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葉を入れたまま、咆哮、
 
 
 
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フレーメン
 
 
登り窯発掘
 
 
マオかな、産後まもなくだから別居
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アミメキリンが出産しましたが赤ちゃんは亡くなりました
2018年09月11日(火)
動物園
アミメキリンのマオが平成30年9月10日に出産しましたが、赤ちゃんは残念ながら亡くなりました。その経過等は以下のとおりです。楽しみに待っていてくださった皆様には、残念なお知らせとなってしまいました。
引き続き、アミメキリンのマオとトリノを温かく見守っていただけると幸いです。
 
1 出産したアミメキリン(母親)
(1)名  前  マオ
(2)年  齢  10歳(2007年10月6日 浜松市動物園生)
(3)来園日等  2009年12月7日(浜松市動物園から来園)
(4)出   産   2015年7月以来、3産目となる。 
(5)父  親  トリノ
2 産まれた赤ちゃんと亡くなるまでの経緯
(1)赤ちゃん
・性別:メス
・体の大きさ:体高約140cm  体重27.5kg
(2)経緯
9月10日早朝に生まれましたが、授乳が確認できなかったことから人工哺育を行いました。
体型が小さく後肢にも異常があり、体温低下や衰弱もみられるようになったことから、獣医師による処置(補液や注射等)を行いましたが、11日15時に残念ながら亡くなりました。
 
和歌山の小さな小さなパンダの赤ちゃん、無事でよかったですね。