riboni5235’s diary

英国庭園、ミュージカルファン、親子・ペアのアメショー3匹と暮らしています.バラ栽培アンティークも大好きです。よろしくお願いします!

<span itemprop="headline">城山三郎展と貞奴</span>



今日は偶然、WOWOWで三谷幸喜の「恐れを知らぬ川上音二郎一座」を放送しているがhttp://www.futabakan.city.nagoya.jp/貞奴邸の城山三郎展 「気骨の作家、ここにあり」に行った。23日まで。

ひときわ目立つオレンジ色の屋根の双葉館 旧貞奴邸の前にかわいいピンクの彼岸桜が咲いていた。



NHK教育テレビ「知るを楽しむ 私のこだわり人物伝」は「ハゲタカ」の真山仁さんが城山さんを紹介したが昨日は佐高信の司会「昭和と格闘したサムライ 城山三郎」のブログはhttp://plaza.rakuten.co.jp/ribon5235/diary/200708220001/こちら
 
 1階はステンドグラスのある大広間、貞の唯一残る舞台衣装などの展示がある。

昨年12月には「マダム貞奴」の著者レズリー・ダウナーの講演会があったそうだ。

日本人劇評家には酷評された川上一座の公演は欧米ではどうだったか。

大体明治時代に欧米で公演するなんて勇気あると単純に思う。

ダウナーさんも「4,5時間座りっぱなしのせりふ劇を見慣れていた欧米の観客にとっては古典の演目を混ぜ合わせて凝縮し、派手な立ち回りやハラキリのシーンを取り入れた30分の演劇は身振りや踊りだけで情念や苦悩が伝わり新鮮なものだった。特に貞の「死の演技」の圧倒的なリアリズムは美貌もあいまって多くの観客を魅了した」と。

貞はボストン・グローブ社のインタビューにこう答えている。

「私はアメリカの女性がいかに男性に大切にされていたかを決して忘れることはないでしょう。日本に戻ったときには、日本の生活の中に女性をより重要に考えるよう少しでも影響を及ぼせるよう願っています。」

1908年、3回目の洋行から戻った貞は女優養成所を開設し多くの女性に俳優という道を開いた。

2階は城山三郎展 「気骨の作家、ここにあり」

以前から書斎の再現はあったが未発表小説、私家本の詩集、蔵書や作家から贈られたサイン本等の展示があった。

城山の起点は「国家と軍の醜にして卑なる姿を知ったことにある。  戦争がなければ作家にならなかった。上官の命令がどんなに私心むき出しのものであったか」  今も同じではないか。