<span itemprop="headline">レオナール・フジタ展</span>
藤田嗣治異邦人の生涯 戦争画についても詳しい。
フジタはやっと日本でも認められて日本にいるつもりだったのに、戦争画を描いた責任取れとある画家に迫られて、再びフランスへ。フジタは「私が日本を捨てたのではなく日本が私を捨てた」といいました。戦争画といっても戦争を煽る絵ではなく悲惨な状況を描いているのに、他の画家の自己規制というか、藤田だけに責任を負わせたのです。この自己規制というのが癖ものです。新聞でも検閲される前に真実書かなくなってしまったように。
フジタはやっと日本でも認められて日本にいるつもりだったのに、戦争画を描いた責任取れとある画家に迫られて、再びフランスへ。フジタは「私が日本を捨てたのではなく日本が私を捨てた」といいました。戦争画といっても戦争を煽る絵ではなく悲惨な状況を描いているのに、他の画家の自己規制というか、藤田だけに責任を負わせたのです。この自己規制というのが癖ものです。新聞でも検閲される前に真実書かなくなってしまったように。
画家のアトリエの前で鳥肌が立ちました。
前に公式サイトで観ていたのに、壁画、絵の具、たくさんの筆、額、日本手ぬぐい、オランダのタイル、などのあるアトリエの再現の前で。
なぜか、子供の時から惹かれていたフジタ。県美術館で観たのか。
こんなに一堂に観たのは今までにあっただろうか。
こんなに一堂に観たのは今までにあっただろうか。
最も絵画より壁画 のデッサンや六年かけて修復された「構図」「闘争」 が中心。
闘争の筋骨たくましい男たちの絵は、小さなチラシで観ると劇画の様ですが実は大作です。これだから絵はこの目で観たい。
絵の前で(;_;)したのはダ・ヴィンチの最後の晩餐。
例により東京で展示されたより少ない絵。
「素晴らしき乳白色の地」の秘密は墨ではなく油絵の具の下塗り?
フジタが買い戻したお気に入りの自画像
模型の中の絵やステンドグラス、螺旋階段、絵の具が付いたズボン、まで細かく作ってある。いつくしんだ品々。
ミシンに向かってカーテンまで作ったフジタ。
奥さんに作ってあげた箱にも丁重に子供たちの絵。いいなあ。
お子さんはいなかったが白髪になった藤田とフランスの子供たちの暖かい交流の写真。
私はこういう細かくて上手な細工ものが好きなので大満足です。
アトリエや礼拝堂にはますます行きたくなる。
いくつものキリストの顔のデッサン
聖女たちのデッサンにも(;_;)
子供たちの絵
三美神の花は、ダ・ヴィンチやボッテチェリの受胎告知、春の地面に描かれた花を思い出します。
再制作された礼拝堂のステンドグラス楽器を持つ「聖チェチリア」
図録は東京での美術展のが2500円、この美術展の図録が2000円と二種類。
五枚組のお皿や。フジタが作った箱の複製など販売しているが鞍馬の子紀にしようと手ぶらで帰宅。
すぐには絵の印象が強く写真観るとがっかりするときもあります。
以下は美術展公式サイトより
エコール・ド・パリの寵児として20世紀のフランスで才能を開花させた藤田嗣治(1886~1968)は、「素晴らしき乳白色の地」による裸婦像でその名声を確立しました。一時帰国した戦時中は日本洋画壇の中心的役割を果たしますが、戦後は再び日本を離れ、フランスに帰化。
キリスト教の洗礼を受けてレオナールと名を改めたフジタは、故国日本に戻ることなくこの世を去りました。
1992年、フランス・オルリー空港近くの倉庫で、縦横3メートルの大作4点が発見されました。「構図」「争闘」と呼ばれるこれらの連作群は、一部が日本で公開されたものの、その後所在が不明になっていたフジタの「幻の作品」でした。
これらの作品は、藤田が最晩年を過ごしたアトリエとともにエソンヌ県の所有、ひいてはフランスの国家財産となり、このたび6年に及ぶ大掛かりな修復作業を経て、往年の輝きを取り戻しました。
本展は大きな話題を呼んだ大作4点を軸に、日本で手掛けた大作、ランスの「平和の聖母礼拝堂」建設のための資料、そして、晩年フジタが手作りした日常小物、食器など、120点余りの作品で天才画家の人間像に迫ります。
エコール・ド・パリの寵児として20世紀のフランスで才能を開花させた藤田嗣治(1886~1968)は、「素晴らしき乳白色の地」による裸婦像でその名声を確立しました。一時帰国した戦時中は日本洋画壇の中心的役割を果たしますが、戦後は再び日本を離れ、フランスに帰化。
キリスト教の洗礼を受けてレオナールと名を改めたフジタは、故国日本に戻ることなくこの世を去りました。
1992年、フランス・オルリー空港近くの倉庫で、縦横3メートルの大作4点が発見されました。「構図」「争闘」と呼ばれるこれらの連作群は、一部が日本で公開されたものの、その後所在が不明になっていたフジタの「幻の作品」でした。
これらの作品は、藤田が最晩年を過ごしたアトリエとともにエソンヌ県の所有、ひいてはフランスの国家財産となり、このたび6年に及ぶ大掛かりな修復作業を経て、往年の輝きを取り戻しました。
本展は大きな話題を呼んだ大作4点を軸に、日本で手掛けた大作、ランスの「平和の聖母礼拝堂」建設のための資料、そして、晩年フジタが手作りした日常小物、食器など、120点余りの作品で天才画家の人間像に迫ります。